ところが偶然にフランス語文献の「社会国家」(État social)ないしは「福祉国家」(État providence)に出会い、英語圏からの福祉国家(Welfare State)とはかなり違和感が強くなった。

なぜなら、社会学では社会と国家は表1で示したように、別次元だと解釈してきたからである。換言すれば、社会の中に国家が含まれるのである注7)。

「社会国家」は「社会支出」が肥大した国家か?

しかし、資本主義論で世界的なベストセラーを出したピケティは、「福祉国家」(État providence)の代わりに「社会国家」(État social)を使い、「社会支出」が肥大した国家をそこにイメージした注8)。

ピケティ『21世紀の資本』から「社会国家」(État social)イメージを拾うと、「経済と社会生活における中心的な役割を引き受け」(同上:492)、「富裕国が社会支出にあてようとする国民所得の割合は大幅に増え」(同上:494)、「国がこの数十年ほど重要な経済的役割を果たしたことはない」(同上:495)、「資本主義の問題に対する解決策は国家の役割を拡大し、社会支出を必要なだけ増やすことだと考える」(同上:495)などから、フランス語での「社会国家」独自と思われる内容が浮かんでくる。

「社会国家」は国民所得の40%を徴収する

ピケティの「社会国家」は本文からすると、「富裕国において基本的な社会権に基づく教育、保健医療、年金生活についての権利」(同上:500)を念頭に置いている。

さらに近著では、「社会国家のための公共支出(保健、教育、年金、失業保険、家族手当など)は国民所得の40%ほどになる」(ピケティ、2019=2023:899)とより具体的内容に踏み込んでもいる。

「社会支出」の内訳

あるいは社会国家とは、「総税収が国民所得の30%を超え、教育、社会支出は総支出の3分の2を占める」(同上:441)という表現もある。