この場合「近代国民国家」なので、日本でいえば明治期以降の150年間が含まれるから、本稿「下」で検討する太平洋戦争当時の「戦時国家」であっても、この定義を変えるには及ばない。

そして、「近代化と産業化がより高度になった「近代産業社会後期」になって、国家はもっとはるかに多くのことを求められるようになった。とりわけ顕著なのは国家の手による福祉政策である」(同上:264)として、富永は「近代産業社会後期」に特有な形態として「福祉国家」を位置付けた注5)。

近代産業社会後期

富永の「近代産業社会」は、近代化と産業化という両方の社会変動によってもたらされた理念型である。このうち近代化とは、政治面では近代国民国家の形成と民主化、社会文化面では科学の発展と合理主義精神の浸透および教育の普及、都市化、社会分化などが事例とされた。

また産業化は、技術的側面に関しては近代科学の生産技術への応用とエネルギー動力革命があり、経済的側面では高度の生産力上昇としての経済成長と経済発展を含む。

そのためいつからが「近代産業社会後期」とは断言できないが、日本では高度成長期が終焉して、ワープロパソコンが日常的に使用され始めた1990年代辺りからそのような認識が普遍化したように感じられる。

多機能的な「福祉国家」の登場

そういう時代になって、「国家は貧困を解消し、失業者を救済し、身障者や高齢者を保護し、国民の生活水準を安定させ、不平等をなくし、機会均等を実現するとうにつとめなければならない。このような国家理念は「福祉国家」と呼ばれる」(同上:264-265)。その結果として、「機能集団であり、組織の一つでありながら、国家の活動は少数の機能に専門分化するのではなくして反対に多機能的になっていった」(同上:265)とまとめられた。

簡単ながら国家論に関する複数の先行研究を検討した結果からも、社会学では国家の機能的な把握が普遍化していて、とりわけ日本語で「福祉国家」は活用されても「社会国家」を使う社会学者は稀な存在であった注6)。

3. 社会国家(État social)

「福祉国家」≒「社会国家」