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1. ソーシャルディスタンスの経験から

ソーシャルディスタンスは人種、民族、階層間の「社会的距離」

5年前の新型コロナウイルス感染以降頻繁に使用されてきた言葉の問題から始めよう。

当時から現在まで使われてきたコロナ感染関連での「社会的距離」(social distance、以下、ソーシャルディスタンスと略称)は、社会学的には人種、民族、階層間の「社会的距離」を指す概念として100年以上の歴史を持つ概念であった。

しかしながら新型コロナウイルス感染が広がり始めると、これはもっぱら「空間的な距離」としての2mを意味する用語として、首相、担当大臣、知事、市町村長、専門家会議、マスコミ他すべてがこの言葉の学術的「原意」には無自覚なままで使われるようになった注1)。

ソーシャルディスタンス2mの間隔ではない

なぜなら「社会的距離」とは、写真1のような「人と人の間隔を2mくらいに空けること」を意味しないからであった。このような使い方は学問的にも間違っている。

2mの間隔を意味したいのなら、フィジカル・ディスタンス(物理的距離)と変えようとなんども発言したが、日本社会全体は最後まで無反応であった。

写真1 佐賀県鳥栖市のスーパーで筆者撮影(2020年9月22日)

空間距離という発想は皆無

学術的にいえば「社会的距離」は、何よりもパークやバーゼスら初期のシカゴ学派で用いられた都市社会学の用語である注2)。

たとえばパークは、「私たちの感情は、偏見と関連がある。そしてその偏見は、人や民族はおろか、無生物といったようなもの、つまり何物に対しても抱かれるのである。また、偏見はタブーにも関連しているところから、『社会的距離』(“social distances”)や現存の社会組織を維持しようとする傾向がある」(パーク、1925=1972:17)。

ここでは空間距離という発想は皆無であり、偏見など個人感情や社会関係のレベルでのみ使用されている。

親しさの度合や疎遠の程度を表現する