古くはウェーバーのように、アソシエーションとしての「政治団体」のうち、「その行政スタッフが秩序の実施のための正当な物理的強制の独占を有効に要求する限りにおいて、『国家』と呼ばれる」(ウェーバー、1922=1972:88)という表現がある。

デュルケムでは、「国家は、自己の諸機関と同質の諸機関、つまりは一般的生活を律する機関だけは、これを吸収する」(デュルケム、1893=1960=1971:217)とある。また、「諸機能の多様化は、有用でも、必要でもある。・・・・・・この統一性を実現し、これを維持しようと配慮すれば、独立した機関によって代表される特殊な一機能を社会有機体のなかに構成しなければならない。この機関こそ、国家または政府である」(デュルケム、1893=1960=1971:346)。

このような機能論的な理解が世界的にも合意されてきた。

日本社会学での国家の定義

日本ではどうか。古くは高田が『社会と国家』(1922)でこの両者の次元の相違を力説した。その後たとえば富永は、そのような社会学の伝統を踏まえて、「国家を機能集団とすることは、マッキーヴァーが国家をコミュニティ-われわれの場合は地域社会-から引き離してアソシエーションと見做したさいに意図されていた精神を引き継ぐものである」(富永、1986:263)とした地点から出発した。

すなわちマーキーヴァーや高田と同じく富永は、国家がアソシエーションであるという判断を受け入れたうえで、「国家は他のアソシエーションが成員に課している規則とは根本的に異なる強制力の裏づけをもった法律を国民に課しており、国民はその強制力から逃れられない」(同上:264)とみた。この「強制力」の根源こそが「暴力」である。

近代国民国家

その結果、「近代国民国家は国民社会規模において形成された最大の地域行政組織であり、また同時に立法・司法の業務を行なう統治機関である」(同上:262)として、表1に準拠する視点を堅持した。