『平家物語』にも、義仲軍の味方が減っていく様子や討ち死にした兵士たちの名前が書き残されています。

しかしこの状況下にあっても、一人、鬼神のような戦いを見せたのが巴御前でした。

巴は圧倒的不利な戦況に微塵も怯むことなく、次々と相手を討ち取っていきました。

その豪傑ぶりに唖然として敵将・畠山重忠(はたけやま・しげただ)は従者に対し、「あの女は何者か?」と問い尋ねます。

そこで従者は巴御前についてこう述べました。『平家物語』に記されている一文です。

「強弓の手練れ、荒馬乗りの上手。(中略)軍には一方の大将軍して、更に不覚の名を取らず。今井・樋口と兄弟にて、怖ろしき者にて候」

(=強弓の使い手で、荒馬乗りの達人。(中略)戦においては大将軍として勇猛果敢に戦い、ただの一度も失態を犯したことなし。今井兼平や樋口兼光の兄弟で、彼らに劣らぬ怖ろしい人物です)

「宇治川の戦い」を描いたい歌川国芳の画
「宇治川の戦い」を描いたい歌川国芳の画 / Credit: ja.wikipedia

このように巴御前は敵将も舌を巻くほどの戦いを見せましたが、負け戦に変わりはありませんでした。

命からがら京都から脱出した義仲勢が琵琶湖のほとりにたどり着いた頃には、義仲・兼平・巴を含め、わずか7騎しか生き残っていなかったのです。

しかしすぐ背後には数千騎の源氏軍が迫ります。

ここで義仲は側にいた巴御前にこう言いました。

「お前は女であるからどこへでも逃れて行け。自分は討ち死にする覚悟だから、最後まで女を連れていたなどと言われるのは武士としての恥だ」

少し辛辣な言い方にも聞こえますが、大切な存在である巴御前を生き延びさせるためにこう言い放ったのでしょう。

これに対し、巴は「最後までお側におります」と言い張りましたが、義仲は頑としてこれを聞き入れず、「早く立ち去れ!」と繰り返します。

そうして巴は覚悟を決めたのか、「最後の戦してみせ奉らん(=最後の奉公でございます)」と言うや、豪傑として知られた追手の敵将・恩田八郎師重(おんだのはちろう・もろしげ)に一騎討ちを仕掛け、馬から引きずり落とすなり、首を切り取りました。