そこで駒王丸は武蔵国から、乳母の実家がある信濃国の中原兼遠(なかはらのかねとお)の下で庇護されることになりました。
この中原兼遠の妻であり、駒王丸の乳母だったとされるのが千鶴御前(せんつるごぜん)という女性。
そして中原兼遠と千鶴御前の間にできた娘が「巴御前」だったのです。
(巴御前の生没年は不詳ですが、義仲と同じ年か少し下くらいと見られています)
こうして駒王丸は信濃国の信州木曾を”第二の故郷”として、兼遠に武術指南を受けながら逞しく成長していきました。
このとき、駒王丸は兼遠の実の息子であり、のちに自身の家臣となる「今井兼平(いまいかねひら)」や「樋口兼光(ひぐちかねみつ)」と兄弟同然のような関係を築いています。
おそらく、巴御前も彼らに混じって武術訓練を受け、男勝りの女武者へと成長していったのでしょう。
そして駒王丸は元服して「木曾義仲」と改名し、巴御前らと共に平安の乱世へと身を投じていくのです。
無双の女武者「巴御前」の活躍
時は1180年、京の都では不穏な空気が漂い始めていました。
平氏の武将・平清盛がクーデターを起こし、天皇である後白河法皇を幽閉して、さらには後白河法皇の第三皇子である以仁王(もちひとおう)の領地まで没収しました。
こうした一連の横暴に耐えかねた以仁王は、全国各地の源氏に平家討伐の兵を挙げるよう命令を発します。
ここに源氏と平氏の一大戦争が勃発し、源氏の一門である木曾義仲も戦地に出陣することになったのです。
そして、その側には美しき女武者である巴御前の姿もありました。
巴御前、戦場の鬼神となる
義仲率いる源氏軍は信越・北陸各地を転戦し、連戦連勝を重ねます。
中でも獅子奮迅の活躍をしたのが巴御前でした。
彼女は男もなぎ倒す怪力と正確無比に敵を射抜く弓の使い手であり、1181年の横田河原の戦いでは敵七騎を討ち取って名を上げました。