しかし、それらはすぐには株式市場には向かわない。日本の証券市場の個人投資家、小口投資家無視の長い歴史が影響している。新NISAなどの工夫で政府はこれを動かそうとしているが、今回のような暴落劇があれば、それもうまくはいかない。

行先を失った資金の一部は海外を目指すが、そこには外国為替市場という危険もある。ここも金利が影響する領域である(低金利=円安)。投資先が少ない状況では低金利は常態になり、円安は傾向になる。景気動向にはかかわりのない、いわば経済の基底に居座る現象となる。

各国の政府は、それでも自らの存在を示そうとして金利を動かしたがる。物価が上がりそうだといってそれを下げ、景気が悪化するといって下げる。反対の時は反対だ。しかし、金利を動かせば私達の方程式が示すようにまず動くのは株価なのである。

別の観点から言うと、株価の上昇にすべてを依存している経済、“株が上がればえ~じゃないか”の環境下では金利を上昇させるいかなる措置も資本主義にとっては自殺行為なのである。

適度の不況

現在の株価を支えているのは金利である。金利は景気が良くなれば、それに伴って物価が上がれば、上昇するはずだ。だから、株高を維持するためには不況が適当に続いて中央銀行の緩和姿勢が継続するのがよい、という倒錯が現れる。「適度の不況」という希望の表明は世紀の変わり目あたりからずっと続いているから、それは倒錯ではなく“衰弱した資本主義”から生まれた現実なのかもしれない。

底辺にある現象としては、株式市場に向う資金が大量になる割には、投資する機会は大きくならない。つまり投資する側の過少である。これが金利化、金融化を進める。もちろん、有利な投資先探しは国内にとどまらずグローバルに展開するが、ちょうど、現在生存している人より、過去に生きていた人の総計の方が多いように、遊休貨幣>資本としての使用、ということになるのである。

まとめ