銘柄が多すぎる。もはや、個人には、個別の吟味・判定は無理である。すぐ前に述べたが、機関投資家から見ると保有する資金量が大きすぎてまとめ買いしか方法がない。

株式市場のマクロ化

こうした事態が意味するものは何か? それは、株式市場のマクロ化である。全体がひとつになる。本来の構成要因である個別銘柄はそのミクロ性を捨て去り全体に融合してしまう。

インデックスファンドを買う投資家にとって銘柄構成は二の次であり、注目するのは運用成績を示すファンドの現在価値であり、ファンドマネージャーの“名声”である。こうして、W. バフェットが、ブラックストーンが買えば“買う”という、思考停止、が現われる。それはやがて暴落という悲劇を生み出すのだ。

Indexファンドは年に一度か二度、分配金を出す。これは、投資側には配当であり、それは既に述べたように利子率が動けば基準価格に影響する。

株式市場の金融化

金融世界の頂点に位置する日本銀行の総裁が金利について言及するのは自然だ。しかしその発言が株価を左右するのは、証券・株式市場が金利に敏感な構造に変容してしまったからである。では、その変容の基底にあるものは何か。それを証券市場の金融化と呼んでいる。

基底にあるのは遊休貨幣の量的拡大である。ここで遊休貨幣と表現しているのは『資本論』の第三巻で「貸付可能な貨幣資本」と呼ばれているものだ。

それはまず企業でも未使用資本として現われる。所定の利潤をあげる見込みが立たず保有されているものだ。それは企業の内部留保金とほぼ同じもので、日本では推定600兆円程ある。それは投下を予定されていない資本であり、話題になっているBPS(株価純資産倍率)を下げる主要な要因である(『The NEXT』、第3章)。

個人の下にも多様かつ多額の遊休資金が形成されるのが現代資本主義の特徴である。典型的なのは『The NEXT』に書いたが、引退資本である(『The NEXT』、第7章、p.144)。