なお、マーク・ラムザイヤー教授は1993年にも日本の性産業に関する論文を書いています⇒芸娼妓契約 -性産業における「信じられるコミットメント (credible commitments)

ただし、いつの世もルールを逸脱する者は出てくるものです。そのような事態に対して日本政府・軍は何もしなかったのかというと、決してそうではありませんでした。

「恰も軍当局の了解があるかの如き言辞を弄する者」への取締り

アジア歴史資料センター:A05032044800

【内務省発警第5号 昭和13年2月23日 支那渡航婦女の取締に関する件】では、「恰も軍当局の了解があるかの如き言辞を弄する者も最近各地に頻出しつつある」と書かれており、無関係の女衒・業者が政府・軍関係者を騙る例があったことが分かります。

婦女売買に関する国際条約(【婦人及児童の売買禁止に関する国際条約】とその一部修正をした【醜業を行わしむる為の婦女売買禁止に関する国際条約】)に反することの無いよう、当時の日本政府が政治リスクを考慮していたことが分かります。

日本政府は既に性産業に従事していた女性だけを選ぶようにし、年齢制限や身元確認そするなどの規則を作っています。

さらに、慰安所には軍が定めた運営守則がありました。

反日種族主義 李栄薫 文藝春秋

反日種族主義/李榮薫 慰安所には多様な形態がありました。軍が直接設置して運営したものもありますが、ほとんどは民間の業所を軍専用の慰安所に指定し、管理する形態でした。

~中略~

慰安所内では飲酒や放歌などは禁じられていました。慰安婦に対する乱暴な行動は取り締りの対象でした。慰安所の入り口で許可証を見せて花代を支払うと、店主が避妊器具のサックを支給しました。サックの着用は義務事項でした。慰安婦たちは定期的に性病検診を受けなければならず、月二回の休日以外は、むやみに外出することはできませんでした。店主は、毎月定期的に所定の様式い従って、業所の営業状況を軍に報告しなければなりませんでした。その際、慰安婦別収支まで詳しく報告されました。