この磐座から立秋の太陽(厳密には「夏と秋の節分の太陽」ですが、簡便のため以下では概略的に「立秋の太陽」と表現します)が沈む方位に位置しているのが、伊弉諾尊(=イザナギ)の黄泉国(よみのくに)神話で知られ、弥生時代の出雲の王が崇拝した聖地と考えられる猪目洞窟なのです(前編参照)。

私はこの位置関係は偶然ではなく意図的であると考えます。なぜなら、後に山麓に遷座された熊野大社の社殿も概ね猪目洞窟を遥拝する方位を向いているからです。これは、出雲の王が、夏至・冬至の日出日没方位とは異なる新たな太陽信仰を始めた可能性があります。そしてそれは同時に出雲の王族の墓所と考えられる猪目洞窟をもターゲットとした祖霊信仰である可能性もあります。

さて次に、出雲の王をモデルにしたと考えられる大国主命(大己貴命=オオクニヌシ)の国造り神話に着目します。大国主命は日本書紀の正伝には、素戔嗚尊の子であると書かれています。

その後、少彦名命が、出雲の熊野の岬に行かれて、ついに常世に去られた。これから後、国の中でまだ出来上がらない所を、大己貴命が一人でよく巡り造られた。ついに出雲国に至って、揚言していわれるのに「そもそも葦原中国は、もとから荒れて何もない広い所だった。岩や草木に至るまで、すべて強かった。けれども私が皆くだき伏せて、今は従わないという者はない」と。そして「今この国を治めるものはただ私一人である。私と共に天下を治めることができる者が他にあるだろうか」と。そのとき不思議な光が海を照らして、忽然として浮かんでくるものがあった。「もし私がいなかったら、おまえはどうしてこの国を平げることができたろうか。私があるからこそ、おまえは大きな国を造る手柄を立てることができたのだ」と。この時大己貴神は尋ねていわれるのに、「ではおまえは何者か」と。答えて「私はおまえに幸いをもたらす不思議な魂・・・幸魂・奇魂・・・だ」と。大己貴神が「そうです。分りました。あなたは私の幸魂奇魂です。今、どこに住みたいと思われますか?」と。答えていわれる。「私は日本国の三諸山に住みたいと思う」と。そこで宮をその所に造って、行き住まわせた。これが大三輪神である。