大戦後、世界の金融はアメリカ・ドルを中心に回っていた。荒廃したヨーロッパ諸国と違ってアメリカ本土は大戦を無傷で切り抜けた。ドル札は、世界最強の兌換紙幣(銀行に持ち込めば金との交換が保証された)となり、さらには世界のあらゆる通貨と、アメリカ・ドルは常に同じ比率で交換できた。例えば日本円であれば1ドルで360円、イギリス・ポンドだと1ポンドで4.03ドル。

いわゆる「ブレトン・ウッズ体制」である。西側つまりアメリカ寄りの国々については、この仕組みが回り続けた。

これが揺らぎだしたのは、アメリカが月への有人着陸帰還計画と、ベトナムでの戦争に国費を傾けすぎたことからだった。詳細は省くがどちらも東側つまりロシア(当時はソヴィエト連邦と呼ばれていた)との世界大戦の代わりとして生じた国家事業(!)だった。

その隙を突くかのように、敗戦国であったはずのドイツと日本が経済復興を果たしていた。とりわけ日本の躍進は目覚ましかった。1ドル360円の固定為替の下、アメリカに比べれば安価だった労働力と、アメリカ産業界からの受注も可能なレベルに工業技術が進んでいたこともあって、日本製の工業製品がアメリカ市場に流れ込んだ。

貿易赤字やインフレ加速を受けて、ドルの金に対する兌換の維持が難しくなった。業を煮やしたリチャード・ニクソン大統領は、1971年8月15日、何の前振りもなく、いきなりホワイトハウスからテレビ中継で、ドル札の金兌換を一時停止すると宣言した。

これはブレトン・ウッズ体制の終焉宣言でもあった。要約するならば

アメリカはアメリカ国内経済の立て直しを優先する。 金とドルの交換は廃止する。 各国はそのときそのときの市場状況にそってドルと自国通貨の交換比率が変わる仕組みに切り替えてもらう

皮肉なことに、この同じ年に、イギリスでは貨幣制度が全面改革されていた。先に述べたように、1ソヴリン金貨=20シリング銀貨=240ペンス銅貨という、10進法と20進法と12進法が入り乱れる仕組みだった。それを十年以上の議論と準備を経て、1971年2月13日、1ポンド(=1ソヴリン金貨)=100ペンスに切り替えられた。