■事件の発覚
体良く小児ICUを辞めさせられたジョーンズだが、次の仕事を探すための推薦書は得ており(担当者を脅したという話もある)、1982年に前述したカーヴィルの小児科クリニックに仕事を得た。チェルシーは彼女がこのクリニックに勤め始めてから二番目の患者だった。
1983年5月、チェルシーの遺体が掘り起こされた。当時最新の手法によってチェルシーの遺体からスクシニルコリンが検出され、ついにジョーンズは起訴・逮捕された。
ジョーンズは1984年2月に禁固99年、また同年10月には郡立病院での殺人事件一件について禁固60年の刑を言い渡された。小児ICUで死んだ47人の子供の殺人でも疑われたが、その全貌は結局わかっていない。ベア郡立病院が事件の起きていた時期の書類を処分したため、証拠となりうるものが失われてしまったからだ。
こうして全容はあいまいなまま、異様な事件は幕を閉じた。死刑にこそならなかったものの、「死の天使」ジェニーン・ジョーンズは残りの人生を監獄で過ごすことになった……はずだった。