■殺された最初の「奴隷」

 1976年1月31日、キャメロンとジャニスは19歳のヒッチハイカー、マリーズ・スパンハイクをカリフォルニア州チコで車に乗せた。彼女が希望する場所まで車を走らせ安心させ、彼女が油断した隙に拘束し、家に連れ帰って地下室に吊るし、全裸にして拷問を始めた。

 キャメロンはマリーズに、これまでジャニス相手にはできなかった凄まじい拷問を加えた。空気銃で腹部を撃つなどの凄惨な暴行の後、最終的には首をきつく締めて殺してしまった。2人はマリーズの遺体をラッセン火山国立公園付近に埋めた。

 その頃、警察はマリーズの行方不明事件を、失踪直前に口論していた交際相手の男の仕業だと見ていた。まさか拷問目的で誘拐・監禁・殺害されていたとは、これっぽっちも思っていなかったのである。

【閲覧注意】「小箱に詰められた女」事件 ― 7年監禁・拷問“完全なる性奴隷”を育てた鬼畜キャメロン・フッカー!
(画像=マリーズ・スパンハイク。画像は「Unidentified Wiki」より引用,『TOCANA』より 引用)

 1977年5月19日に誘拐・監禁されたコリーンは、夫妻の2人目の被害者だった。キャメロンは2度目ということもあり、無茶はせず、じっくりと拷問を堪能し、奴隷育成に務めることにした。その結果、コリーンの誘拐・監禁は思いの外うまくいった。キャメロンは約束を守ってコリーンだけを拷問し、ジャニスとはセックスだけした。

 コリーンと交わした奴隷契約書は、キャメロンが愛読していたSM雑誌からヒントを得たもので、「カンパニー」はもちろん架空のものだった。しかし、連日拷問を受けていたコリーンはすっかり怯えきって、その存在を信じた。

 夫からの暴力的なセックスから逃れられた上、コリーンが絶対に逆らわない、抵抗しない存在だと知り、ジャニスはようやく安心するようになった。さらには契約書のおかげで、ジャニスも好きなように彼女に指示できるようになった。すっかり気を良くしていたジャニスは、誘拐から1年が経つ頃、キャメロンに「奴隷とセックスしてもいい」と許可した。キャメロンはそれを聞くと何も言わず地下室に行き、コリーンを連れ出すと夫婦のベッドに手足を縛りつけ、強姦した。何のためらいもなく、淡々と強姦するキャメロンを見たジャニスは、トイレに駆け込み嘔吐したという。

 これ以降、コリーンは拷問だけでなく、強姦もされるようになった。