■奴隷を求めた夫婦

 男の名をキャメロン・フッカー。1953年11月5日にカリフォルニア州アルトゥラス、ワーナー山脈麓の町に生まれた。家庭は経済的に安定しておらず、頻繁に引っ越しをしたため、彼には友達もあまりいなかった。16歳の時、一家はやっとレッドブラフに根を下ろし、キャメロンも高卒で製材所で働くようになる。働き始めて1年目の1973年に「ジャン」ことジャニスと出会うことになる。

 キャメロンと出会った当初、ジャニスはまだ15歳だった。異常なまでにしつけに厳しく、家庭内暴力も酷かった家庭に育ち、短パンやビキニを着ることはおろか、男女交際まで禁じられるなど、両親の強い支配下に置かれて生活していた。てんかん持ちのジャニスは、自分を普通以下の人間と思い込んでおり、自尊心は極端に低かった。

 そんなジャニスを気に入ったキャメロン。デートにすら消極的なジャニスと共に彼女の家に行き、彼女の両親を説得して交際を許してもらった。両親の言いなりだったジャニスは、それからは何の疑問も持たずにキャメロンの言いなりになった。最初のデートでキャメロンに全裸になるよう命じられ、両手を縛られ木にぶら下げられたが、ジャニスは抵抗しなかったという。  キャメロンは性的サディズム障害だった。苦しみを与えることに興奮するのではなく、相手が苦しむ姿を見ることで興奮するタイプで、肉体的だけでなく精神的にも苦しみを与えることで性的快感を得ていた。どんなに痛めつけられても、ジャニスはキャメロンに服従し続けた。彼女がこういう性格だということを、キャメロンは一目で見抜いていたのだろう。

 キャメロンとジャニスの関係は明らかに異様なものだったが、男女交際の知識も経験もないジャニスは、それを皆がしていることだと疑問にさえ思わなかった。手首を縛られ宙吊りにされても、鞭で打たれまくっても、それを愛情の証だと受け入れた。交際2年目の1975年1月18日、2人はネバダ州で結婚式を挙げた。

 キャメロンにとって、ジャニスは妻ではなく順応な性奴隷だった。彼女に対する拷問はエスカレートしていった。耐えかねたジャニスは「赤ん坊が欲しい。だから私の代わりにあなたが拷問できる女性を監禁しよう」と提案する。キャメロンはこれを受け入れ「奴隷には拷問だけして、セックスは君とだけする」と約束し、ジャニスを大喜びさせた。