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その他3つの資産が世界遺産となった理由とは?
田島弥平旧宅
その他3つの資産が世界遺産となった理由とは?
前述したように、生糸産業は大きく「養蚕」と「製糸」に分けられます。
蚕→繭→生糸という流れで生産されます。
その前後には蚕を育てるために桑の栽培が必要で、生糸になった後は絹織物へと繋がっていきます。
富岡製糸場は「製糸」を担っていますが、「養蚕」部分で以下の3つの資産(田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴)が重要な役割を担いました。
これら4つの資産が互いに連携し、拡大していったことで絹産業が伸びていったのです。
その意味では絹産業遺産としては、富岡製糸場だけでなく、他の3つの資産があってこその世界遺産といえるでしょう。
ではそれぞれの資産について見て参りましょう。
田島弥平旧宅
田島弥平は幕末から明治にかけて、自然飼育法という当時の養蚕法に改良を重ね、優良な蚕種(蚕の卵)を生産する養蚕法「清涼育(せいりょういく)」を完成させ、「養蚕新論」を著しました。
彼は、蚕の飼育には空気の循環(換気)が重要であることを体系的に理論付けました。
彼が考案した養蚕建物は空気循環を良くする二階建て、瓦葺、屋根に換気用の窓「櫓(やぐら)」(天窓、越屋根、気抜きともいう)を取り付けたもので、近代養蚕農家建築の規範となりました。
又彼は、イタリアで購入した顕微鏡で蚕の病気(微粒子病)の研究にも力を入れ、安定した養蚕の確立に寄与しました。
屋根の部分の上位に見えるのが家屋内の通気を良くする為の窓である櫓(やぐら)。
それ以前の養蚕農家の家の中は湿気があり、換気が充分でなかった為、蚕が病気になったり、死んでしまったりすることがよくありました。
換気が養蚕に重要であることを発見して解決策を実践したこと、病気に弱い蚕の研究をし、安定した養蚕に尽力したことがが田島弥平の大きな功績と言えるでしょう。
また、田島弥平は皇室にも養蚕を教えていたそうです(現在も皇室では養蚕が行われているそうです)。