ハリウッドの山の上に建てられた看板は、もともと不動産広告
映画の都として有名な、アメリカ・ロサンゼルスのハリウッド。多くの人は丘の上に立てられた「HOLLYWOOD」の白い文字のサインを思い浮かべるのではないでしょうか。実はあの看板、映画会社が建てたのではなく、不動産会社が住宅地を売り出す目的で建てたものでした。
この地はもともと、気候が良いことなどから、「ハリウッドランド」として住宅地を販売すをる予定でした。しかし、このあたりが年間を通して雨が少なく、ロケに適しているという理由で映画産業が進出し、スタジオがいくつも建ち、いつしか映画の都としてその名が知られるようになりました。その後、あのハリウッドの看板は映画産業のシンボルとなったというわけです。
ちなみにあの看板、もともとは「HOLLYWOOD LAND」と「LAND」の部分がありましたが、そうなると13文字と縁起が悪いということと、あのサインから飛び降りて自殺した人がいたという理由で、劣化して取り換えるタイミングで、「LAND」の部分を無くしたそうです。
ドラマ版『男はつらいよ』の寅さんは、最終回で死んでいる
昭和から平成初期にかけて多くの人を楽しませてくれた映画「男はつらいよ」シリーズ。最近上映された作品も含めて全部で50作が制作されました。しかし、このシリーズ、もともとはテレビドラマから始まったということは知られてないかもしれません。
もともと『男はつらいよ』は1968年から半年間、フジテレビ系列で放送されたドラマで、主人公・車寅次郎は渥美清が演じていましたが、妹のさくらは倍賞千恵子ではなく長山藍子が配役されていました。内容は寅次郎がさくらを始めとする柴又の人たちを巻き込んで騒ぎを起こすなど、映画でおなじみの展開ですが、最終回ではハブでひと山当てようと奄美大島に渡った寅次郎が、ハブに噛まれてあっけなく死んでしまうという衝撃的なラストを迎えます。
しかし、この寅次郎の死に対し、フジテレビには多くのファンから抗議の電話が殺到しました。そのとき、松竹制作で、山田洋次と渥美清のタッグによる映画企画が立ち上がっていましたが、この声に応えれば人気が出るのではないかということで、「男はつらいよ」シリーズの映画化が決定したそうです。
その後、「男はつらいよ」は人気に火が付き、渥美清が亡くなる1996年まで30年にわたり作り続けられました。