アディダスとプーマの創業者は兄弟で、仲が非常に悪かった

世界的スポーツシューズメーカーのアディダスとプーマ、その創業者が兄弟であったというのはご存知でしょうか。ドイツの靴職人のもとに生まれた兄・ルドルフ、弟・アドルフのダスラー兄弟がそれぞれの創業者です。では、なぜ彼らは一緒に会社を立ち上げず、分かれて会社を興したのでしょうか。

実は彼らはもともと、ダスラー兄弟商会というシューズメーカーを共同で創業しています。当初は兄弟仲も良く、職人肌の弟・アドルフに、営業センスが優れていた兄・ルドルフの歯車が見事噛み合い、ダスラー兄弟商会は一流メーカーへと成長していきました。

しかし、第二次世界大戦が始まり、兄弟も徴兵されていきます。しかし弟・アドルフだけが軍役を免除され、兄・ルドルフだけが戦場へ向かうこととなりました。これに納得がいかないルドルフは、アドルフのことが許せなくなり、次第にアドルフに対して嫌がらせを行いはじめ、兄弟仲は修復できないレベルまで悪化しました。

そして終戦後に兄弟は分裂し、それぞれアディダスとプーマを設立、別々の道を進んでいくことになりますが、スポーツメーカーとしてアディダスは世界2位、プーマは3位とともにすばらしい業績なのは特筆すべきことです。

人口あたりのお寿司屋の数がもっとも多い都道府県は、海に面してない山梨県

日本の都道府県でお寿司屋さんが多いのはどこでしょうか。普通だと北海道や新潟、石川といった海に面して、漁獲量が豊富なところが1位ではないかと思うことでしょう。しかし、総務省が発表したデータによると、人口10万人あたりの寿司店の数で1位となったのは、海に面していない山梨県でした。ちなみに2位以下は石川、東京、福井、静岡となっています。

では、なぜ海無し県の山梨にそれだけお寿司屋が多いかというと、静岡県が隣にあり、駿河湾で穫れた豊富なマグロが流通していたことが第一の理由だそうです。江戸時代、まだ冷凍技術が発達していなかったため、魚を新鮮なまま運ぶには限界がありました。その限界が現在の山梨県の甲府あたりであったことから、内陸部でも様々な魚を食べることができたそうです。そこから寿司屋の数もどんどん増えていき、現在に至っています。

また、山梨では、昔から数人で集まって飲食をする「無尽(むじん)」という文化がありました。その集まりの舞台としてよく選ばれたのがお寿司屋で、それが山梨の寿司文化の発展に大きく関わっていました。そのため、山梨県のほとんどのお寿司屋には広い座敷席があるそうです。