スペース効率に優れた小型車として開花した4代目(1977年)
4代目ファミリアは後述する大ヒットした5代目以上に画期的で、マツダにとっても大きなターニングポイントとなるクルマでした。
基本メカニズムこそ旧態依然のFR車ですが、主力モデルをセダンから2BOXハッチバック車に切り替え、ホンダの初代シビック5ドア(1977年9月)に先駆けた「日本車初の5ドア2BOXハッチバック乗用車」として1977年1月に発売されるや、そこそこのヒットを記録。
しかし日本以上に高く評価されたのがヨーロッパ市場で、小型のMPV(多目的車)を好む風土にマッチした4代目ファミリアのヒットはマツダがヨーロッパへ大きく食い込むチャンスを作ります。
さらにアメリカでも、ロータリーでの悪評を挽回する低燃費で使い勝手のよい小型車として歓迎されて輸出は回復、マツダが自動車メーカーとしての命脈を保つのに、大きな役割を果たしたのです。
カローラを抜き、トヨタや日産を唸らせた5代目(1980年)
4代目で保守的なメカニズムながらハッチバックに手応えを得たマツダが、いよいよ大本命、2BOXハッチバック車に最高の組み合わせとなるエンジン・ミッション直列横置きの「ジアコーサ式FFレイアウト」を採用したのが、5代目。
スペース効率は抜群で車内は広々、ラウンジソファーシートと呼ばれる後席は快適、車体表面を平滑にして空気抵抗を減らすフラッシュサーフェス化、シャープな印象のウェッジシェイプ・デザイン、FF車の操縦性にまつわる悪評を覆すリアのSSサスペンションも採用。
これらを組み合わせた5代目ファミリアは1970年代までの国産車を一気に古くするほどの存在であり、特に赤いボディカラーのファミリアは「赤いファミリア」といえば5代目を指すほどの大人気。
社会現象として伝説になるほどの大ヒットとなった結果、当時販売台数で不動のトップだったカローラを抜き去り、トヨタ(カローラFX)や日産(サニー3ドアハッチバック)もファミリア人気へあやかろうとばかり、FF2BOXハッチバック車を追加したほどです。
マツダにとってもファミリア1車種だけで生産ラインが追いつかないほどのフル稼働となり、1970年代の経営危機を完全に乗り切った新生マツダの派手な号砲となりました。