ロータリーの普及に一役買った2代目(1967年)
初代は途中で1リッターエンジンや2速ATを追加、1967年にモデルチェンジした2代目も当初はそれを受け継ぎますが、前年には初代日産 サニーより「プラス100ccの余裕」と宣伝して1.1リッターエンジンを積む初代トヨタ カローラが大ヒット。
ファミリアとしても排気量アップ&デラックス路線の流れは無視できなかったようで、1968年2月に1.2リッターの「ファミリア1200」シリーズを発売、1970年には1.3リッターの上級版「ファミリアプレスト」を発売して、トヨタや日産へ対抗していきます。
一方で宣伝には派手で好ましいものの、あまりに高価で量販など望めないコスモスポーツに代わって「未来のエンジン、ロータリーを実用車へ普及」という役割を果たすべく、まず1968年7月に2ドアのロータリークーペ、次いで1969年7月に4ドアのロータリーSSを発売。
特にロータリークーペは国内レースでも初代スカイラインGT-Rへの対抗馬として参戦、小型軽量で前面投影面積が小さいためストレートは速かったものの、ナロートレッドにリアがリーフリジッドサスではコーナリング性能が悪すぎ、打倒GT-Rはカペラ以降に託します。
しかしロータリーで盛り上がりすぎたか、従来のレシプロエンジンを積む量販大衆車としては次第に力が入らなくなるなど初代のヒットで稼いだアドバンテージを次第に失い、迷走が始まっていたのも事実です。
荒れ狂うオイルショックに翻弄された3代目(1973年)
1990年代前半までのマツダには「企業規模の割に開発に手間をかけすぎたり、車種を増やしすぎる」という悪習があり、その影響に加えてオイルショックにも泣かされたのが3代目ファミリアです。
パワフルで、マスキー法もいち早くクリアするほど環境に優しいロータリーエンジンの搭載車種に力を入れる一方、ロータリー普及の役目を終え、レシプロエンジンのみを積む安価な大衆車へ戻ったファミリアですが、どうも2代目の後半あたりから力が入りません。
1973年のモデルチェンジではバンやトラックは旧型を継続する一方、乗用車は上級版の「ファミリアプレスト」へ一本化してボディ拡大、内外装を改め品質向上を図りますが、言うほど見た目が変わらないためモデルチェンジと呼んでよいのか微妙。
さらなる上級モデルとして、サバンナのレシプロエンジン版「グランドファミリア」も1976年2月に登場しますが、1973年半ば以降に日本でも吹き荒れた「第一次オイルショック」で燃費の悪いロータリーエンジンのメーカーとして、マツダ車自体が敬遠されます。
ここで行き過ぎたロータリー偏重のツケを払う形でファミリアプレスト、グランドファミリアの販売は低迷しますが、そんな中でも日本版マスキー法と言われた昭和53年排出ガス規制に向けて段階的に厳しくなる規制への対応や、新型車の開発に力が注がれました。