1. 「反対するなら代替案を出せ」とは言わないが、「現実の問題を一緒に考える意志」は必要

    私は、ネットでよくある「反対するなら代替案を出せ」という論調は良くないと思っていて、そこまで求めてしまうと「反対をするコスト」が非常に高くなってしまうので問題だと考えてはいます。

    誰でも反対したいなら反対できる自由は大事。

    ただし、いざ「反対」しはじめてみたら、『現行案がこうなっている理由』だってちょっと調べたらわかるわけですから、そこからも延々と「俺たちが善・奴らは悪」論法を振り回しているのも悪辣だと思います。

    そこからはちゃんと「そこにある現実問題を一緒に考える意志」は最低限必要でしょう。ここまで書いてきたような事は反対派だって多少理解力がある人ならちょっと調べたらわかるはずのことです。

    実際、『イコモス案』の原文を読むと、資金繰りが大変になるだろうという話とともに、いくつかの案が出されています。(ここまで踏み込んでいるからこそイコモス案はエライ)

    そこで例にあげられているのは「吹田スタジアム」方式で、Jリーグのガンバ大阪のホームスタジアムを建てる時に、大枠を「寄付」で賄ったという非常に大きな成功事例があるんですね。

    私はサッカースタジアムの事をよく知らないですが、サポーターが自分たちでカネを出し、自分たちの意見を言いまくって建てた吹田スタジアムはサッカー場として凄く良くできている!!という声はよく聞きます。寄付した人たちのネームプレートも飾ってあるらしい。

    ただし、吹田スタジアムの総工費は約140億円で、たまたま募集年度にガンバ大阪が優勝したので奇跡の追い風が吹いて寄付が集まったとはいえ、それでも個人からは6億程度でしかなく、法人が99億円で、さらに公金の助成金が35億円投入されています。

    さらに未確認情報ですが、噂によるとこの法人寄付99億円のかなりの部分をガンバの親会社であるパナソニックが出したという話もあって、なかなか「寄付で建てた成功事例もある」と言っても超えるべき壁はたくさんありそうです。自分のところのチームの球場を建てるときに親会社がある程度出すのは当然なところがありますからね。

    さらに明治神宮の場合は「公費を入れられない」という例の縛りもあってさらに課題は大きい。

    明治神宮外苑再開発の現行案の総工費は三千数百億円を予定されているそうですが、イコモス案はホテル棟はなくなるとはいえ、わざわざ芝生広場に仮の神宮球場を一個建てて後から壊す費用なども考えると、同等程度のコストはかかるのではないでしょうか。

    (ご指摘がありましたが、三千数百億円はホテル棟も含めた総工費であり、明治神宮が負担する額としては過大であったかもしれません。実際どの程度の額になりそうかは、例えば建て替えをしないプランについて考えた後編において仮の数字として、例えば600億円とかで収まるかも?)

    この例えば6百億円をどうするか?について(そもそもこの数字をもっと確実な想定にすることも含めて)、そろそろ反対派は真剣に考えるべきなのではないかと思います。そして、三千数百億円の想定の時よりは、「寄付その他」のプランで集められる可能性が大分増したかもしれません。

    そもそもあの広大な外苑をイチ宗教団体が管理している事が問題で、国有化して公的資金を入れられるようにするべきだ…というような話はありえるかもしれません。内苑に比べて外苑は「宗教施設」色は薄いので、ありえない話でもないかも。(しかし考えてみれば、そうするとじゃあ明治神宮はどうやって内苑の森の維持を出していくんだ?という余計に難しい問題に踏み込んでしまうかもしれませんね。いっそ内苑の維持費も含めて公費を入れられるか考えるべきなのかも?)

    他にも、いろんな金融のプロのアイデアを募っていけば、何か理想と現実をすり合わせられるプランが見つかるかもしれません。

    海外の巨大公園(特に英米のもの)が、公的資金以外で管理されている例がないか…を考えると、何らかの組合組織みたいなものを設定してファンド運用して…とか、何らかの事例があるように思います。

    「寄付でやる」といってもちょっとしたクラウンドファンディングでなんとかなる金額ではないので、何らかの金融のプロの知見を持ち寄って考える必要はどうしてもあるでしょう。

    多分現状「イコモス案でいいじゃないか。なんでやらないんだ」と思っている反対派の人は、単に

    「今のプランに使うはずのカネをイコモス案に振り向けるだけでいいはずだ」

    …と考えているんだと思うんですね。日経クロステックの記者のような人ですら、ちょっとそう考えているのではないか?という書きぶりだったので、ネットの反対派の人の多くはおそらく全くわかってないはずです。

    ここでちゃんと、

    A・まず「現行案」が策定されて支持されている理由を理解する B・「イコモス案」の実行上の課題がどこにあるのかを理解する C・「イコモス案」の実行上の課題を解決できる方法を考える

    のステップを踏むことができるかどうか?

    最初は自分たちの力だけでは無理でも、少なくともABCのステップを踏もうとしている意志さえ示すことができれば、いろんな専門家の協力を得られてどこかに突破口が見つかるかもしれません。

  2. 今の日本の政治的分断を超えるために

    私は経営コンサルタント業のかたわら、日本全国のいろんな個人と文通しながら人生を考える…という仕事もしていて(ご興味があればこちらから)、そのクライアントには普通に働いている男女ビジネスパーソンからベンチャー経営者、特殊な自営業の人とかときには主婦の人などに加え、ある旧帝大の学部長の人がいるんですよ。

    で、その人が最近言っていたんですが、最近「国際卓越研究大学」という文科省のプロジェクト(例の”10兆円ファンド”の話ですね)に大学が立候補する事があったんだけど、

    大学の執行部(副学長、副理事、部局長レベル)にも事後的に申請案の資料が配布されただけで、文科省に申請されていきました。

    …と言っていて、あまりにも「蚊帳の外感」がある事を危惧されていました。

    「学部長」の立場ですらそう感じるのだから、あまり「本流」でない立場の研究者からすれば反感を持つのも当然だろうということで。

    彼自身の立場からすれば、

    現状コレが必要で、この方向でいかないと現状の大学クオリティすら維持できなくなる事は理解しているが、それを運用している人たちはとりあえずのプランを実行していく事に必死で、それ以外の立場の人たちの理解を促す「言葉」や「佇まい」を一切持っていない。むしろ官僚主義的にゴリ押しで実行していくような雰囲気を年々強めてしまっている。 結果として大学がどんどん分断されていってしまう状況の中でどうしていいかわからない。

    こういう問題で今の日本社会のあらゆるところにあると思うのですが、重要なのは

    「現行プラン」には何らかの事情や経緯があってそうなっている

    …という事を理解した上で、そこに新しい案を持ち寄るような共有軸的な空気が雲散霧消してしまっている事だと思います。

    「反対派」の意見をある程度「現実」とすり合わせる部分が完全に機能不全になってしまっている。

    現実的な課題に日々ぶつかってやりくりしている人からすれば、

    いまさらそんな事言われてもね。というか俺たちだってできることならそうしたいと思っているのに、俺たちが単なる私利私欲でそれを壊そうとしているような事を言われてもね

    …というレベルの反対案が多すぎるので、逆にかなり高圧的にグリップを効かせて無理やり押し通すようなことをせざるを得なくなってしまう。

    ここまで「反対派もっと頑張れよ」という趣旨の話をしてきましたが、逆にいうと今回問題における三井不動産はもうちょっと丁寧に説明しろよ…という側面も明らかにあります。

    というか、

    明治神宮も含めて、推進者側がこの記事に書いたような事情をちゃんと正直にまるごと話しさえすれば、納得する人も多いのでは?

    …と私は感じます。

    しかし、こういう問題においては日本における長年のすれ違いの弊害があって、

    どうせ何を言ってもマスコミが曲解してワルモノにされるんだろう

    …というような諦めみたいなものがあり、公明正大に話すということをそもそも諦めてしまっている風潮もあるように感じます。

    そういう風になればなるほど、結果として「反対派の意見」は全く取り入れられず、非常に限られた層の意見しか反映されないようになってしまいますし、その結果としてアイデア自体が硬直化してゴリ押し的なものにさらになっていってしまっている弊害は明らかにある。

    これは「全部敵側が悪い」って話じゃなくて、どちら側からも歩み寄ってなんとかしないといけない問題です。