自動車ビッグスリーに戦闘機を造らせたのもこの方式の成果
連邦政府は、大不況直前には年産400万台レベルに達していた自動車生産が大不況初期に100万台レベルまで落ちこんだ自動車製造大手3社に「第二次世界大戦中は長いベルトコンベアラインを活用して戦闘機の製造に業態転換してくれ」と依頼しました。
第二次世界大戦初期に戦争特需も手伝ってやっと回復の兆しが見えてきた自動車メーカーとしては、当然のことながら「自社の工場で自動車はいっさい造らず戦闘機製造に専念してくれ」との要請をすなおに受け入れられるはずがありません。
政府は「生産ラインの改変費用も、戦争が終わったら元の自動車生産に戻すための費用も全額負担する。さらに戦闘機1機当たりの価格も応分の利益が出る価格設定を保証する」と申し出て、やっと乗用車製造から戦闘機製造へと業態転換させることができたのです。
当然のことながら、自動車メーカーまで兵器生産に動員した経緯をしっかり見届けていた軍需産業各社は、戦時から平時への転換で大幅な減収減益が予想される自分たちの企業にもこの手が適用できるだろうと考えたわけです。
「兵器製造ラインを15~20年償却の予定でつくってしまってから、平和になってその兵器が不要になったとしたら、期間収益がどんなに良くても長期のキャッシュフローは惨憺たるものになる。だから設備投資の資金調達も発注側でやってくれ」というわけです。
そもそも自由競争の市場経済では、製造業の企業経営者がどの程度の金額でどの程度の耐用期間の設備を造るかは、完全に自己責任で決定すべき事項です。
ですが、当時の軍需産業各社にはある程度情状酌量すべき事情も介在していました。次の年表が示すとおりです。
第二次世界大戦のピーク時には、直接の戦費だけでGDPの35.8%、国防費総額となるとGDPの37.5%まで高まっていました。
戦争が終わって平和が来れば、どう頑張っても国防費総額はGDPの1割未満に落ちるでしょう。売上の激減は仕方がないとしても、その中で自社の利益額とキャッシュフローをなるべく縮小させないために、軍需産業各社は連邦議会議員に猛烈な陳情をおこないました。
こうして第二次世界大戦直後の1946年に連邦議会上下院を通過して成立したのが、あらゆる取引慣行を業界に有利で国民に不利なかたちに変えることを可能にする「ロビイング規制法」という名の贈収賄奨励法でした。
軍需産業は今なおその成果を享受しつづけているもちろん、この法律は軍需産業だけを利するわけではありません。有力産業の寡占企業が業界だけでなく、ときには社会全体を自社に有利なかたちに変えるための法律や制度を政治家・官僚たちにお願いするための道具として使うようになりました。
また、同一人物があるときは企業重役として贈賄側に回り、あるときは議員として法律を制定し、事業官庁の高級官僚として企業に発注する収賄側に回り、またあるときには両者のあいだを取り持つロビイストに変わるわけです。
アメリカで政財官界の「回転ドア」と呼ばれている現象は、政権党が変わるたびに高級官僚の顔ぶれが一変することではありません。それは選挙で選出される議院内閣制や大統領府制が存在する国ではどこでもあることです。
そうではなく、同じ人物が贈賄側、収賄側、そして仲介者とくるくる立場を変えながら、政財官界を貫く強固な利権共同体の一員として儲けつづけていることを、回転ドアと表現しているのです。
私の知っているかぎり、先進国と呼ばれる国々で贈収賄というカネの力によって政治・経済・社会を自分たちの都合のいいように変えることが合法的にできる国は、アメリカだけです。
そして、軍需産業は製薬産業や医療関連の職能団体とともに、この合法化された贈収賄を最大限活用している集団のひとつです。その赫々たる成果は、軍需産業が儲けるための研究開発にアメリカ政府がいかに巨額の資金を投じているかを見ても明らかでしょう。
2016年度予算では国防費総額5803億ドル中の13.6%、兵器弾薬資器材調達額1401億ドルの56.5%に当たる791億ドルが、本来であれば軍需産業各社が自社の費用とリスク負担でおこなうべき研究開発検証評価資金として国防省予算に計上されていました。