その結果、国民の日常どおりの需要を満たすための生産活動はほぼ平常どおりにおこないながら、兵器、弾薬、糧食などの製造と戦地への搬送といった戦争特需は、ほとんど全部追加的な需要となったので、経済活動の拡大率が非常に高くなりました。

逆に戦争特需が消え去ったあとは、それまで抑制していた日常生活の需要を戦前並みに拡大し、戦争で破壊された資産を再構築するという埋め合わせ要因もあまり大きくないので、深刻な経済活動の収縮が起きました。

だからこそ、マネーサプライも減少し、失業率も10%を超えていたわけです。しかし、第二次世界大戦後は、戦争特需が丸ごと追加的な需要になるので、戦後の反動も大きいという現象は見られなかったようです。

この点については、第二次世界大戦中は抑制されていた自動車や冷蔵庫の購入が1945~49年に激増したことが、戦争特需の減少を埋めたとする説もあります。

ですが、第二次大戦の直前まで1930年代大不況の渦中にあったアメリカ国民にとってこれらの耐久消費財は高嶺の花でした。

本来買えるはずだったものの購入を戦争中は抑制していたわけではなく、戦後ヨーロッパ復興景気で輸出が増加し、戦前はとうてい買えなかった層にまで耐久消費財を買うだけの購買力が行きわたったと考えるべきでしょう。

戦争特需に代わるヨーロッパ復興特需がはげ落ちたときにも、アメリカは第一次世界大戦後のような短いけれども深刻な不況も、1930年代のような長く深刻な不況も経験しなかったのです。

さらに、第二次世界大戦以降で、アメリカが関与した最大の戦争はおそらくベトナム戦争でしょう。このときアメリカ経済がどう反応したかを、第一次世界大戦直後の1920~21年不況との対比で見てみましょう。

1920~21年の不況では、戦前の4~5%という貨幣供給伸び率よりはるかに高い水準を戦後まで持ち越してしまったために、戦時インフレもそのまま高止まりし、高すぎて買えないものが多くなり、不況、大量失業へと突き進み、その結果物価下落率が11%となりました。

一方、1970年代を見ると、1970年代から1980年まででインフレ率が10%を超えたのは3年だけです。70年代前半は貨幣供給率が12~14%の高原状態にあった割に、インフレ自体はあまり持続的ではありませんでした。

これを1979~87年にFedの議長を務めていたポール・ボルカーの果敢なインフレ退治、つまりインフレ率が3~4%に低下するまでしゃにむに金利を上げつづける政策の成果と見るのは、一種のおとぎ話に過ぎないと思います。

1979年にアメリカのインフレ率が13.9%に急騰したについては、ふたつ大きな要因がありました。

ひとつ目は、OPEC諸国による原油価格のバレル当たり約18ドルから30ドル台への値上げ、いわゆる第2次オイルショックです。ふたつ目は、ハント兄弟の銀買い占めに端を発した貴金属を中心とする商品市況の高騰です。

原油価格は、1980年代前半を通じて30ドル台半ばで安定していました。商品市況一般については、1980年1月に金がトロイオンス当たり800ドルという突飛高を演じたあと急速に下落し、それにつれて鎮静化しています。

1973年の第1次オイルショックで原油価格が一挙に4倍になってもアメリカのインフレ率上昇が一過性にとどまったことを考えれば、ボルカーが何をしようと1970年代末から80年代初めのインフレは短期間で終息していた可能性が非常に高いのです。

結局のところ、第二次世界大戦以前にはアメリカが大きな戦争に関与するたびに起きていた戦後ブーム、その反動としての不況、貨幣供給量収縮、デフレが、第二次大戦後は一度も起きなかったことは謎にとどまるのでしょうか。

私は、この謎を解くカギはあると思います。戦後初の平時立法とも言うべき、「ロビイング規制法」の成立によって、企業家たちはどちらも反動の怖い生産量の増大や価格のつり上げに頼らなくても増益を確保する手段を手に入れたのです。

それが議員や官僚をワイロで動かして、自社に都合のいいように法律や制度を変えてしまうことです。それによって、むき出しの値上げのようにわかりやすいかたちではなく、勤労者の実質所得を下げ、企業利益を拡大する方向にアメリカ経済を牽引してきたのです。

世界中の中央銀行はユーロダラーに勝てない

それにしても、コロナ騒動の渦中にあった2020年のマネーサプライM2の26%増というのは、建国直後の混乱期以外ではまったく前例のない大激増です。いったいどんな戦争がこれだけのマネーサプライ増加をもたらしたのでしょうか。

単刀直入に答えを言えば、我々はグローバリストたちによる世界統一政府樹立・全面監視社会化・完全統制経済化を目指す戦争に否応なく巻き込まれているのです。彼らはその軍資金として量的緩和でばら撒かれた各国通貨を利用しています。

不思議なのは、それぞれの国の権力の一端を担っているはずの各国中央銀行の中で、とくに先進諸国の中央銀行がほぼ全面的にこのグローバリストたちの野望に加担していることです。

彼らは独立国の通貨と金利の番人としての権力を放棄せざるを得なくなることに、不満を持っていないのでしょうか。

じつは、彼らはもう通貨発行権も金利コントロール権も失ってしまった裸の王様に過ぎないのです。しかも、自分たちが裸の王様であることは知っているけれども、大衆はまだそれを知らないと思って、必死にこの事実をおおい隠そうとしている裸の王様です。

だれが通貨発行権と金利コントロール権を中央銀行から奪ったのでしょうか。特定の人間でも組織でもなく、母国アメリカを離れて少しでも高い金利・配当収入を求めて世界中を渡り歩いているドル、ユーロダラーです。

「紙幣用の紙も、インクも、輪転機も持たず、ユーロダラーとしての紙幣の統一デザインもないのに、どうやって通貨発行権を握るのか」とお疑いかもしれません。国内の取引でも対外取引でも、高額取引はすべて銀行同士の帳簿記入だけでおこなわれています。

札束のような物理的なモノは関与しません。そういう意味で、ユーロダラーは暗号通貨が普及するはるか以前から「仮想通貨」で取引が完結される世界を作り上げています。

ユーロダラーには統一指令本部もなく、専任のストラテジストなりアセットアロケーターなりが資金配分を統括しているわけではありません。産業団体とか、職能団体を結成しているわけでもありません。まったく組織の存在しない完全に分権化された世界です。

個々の運用者は、国籍も経歴も違いますが、なるべく自分が受け持っている資金を増やしたいと願っていることは共通しています。個別の事件に対する反応は千差万別でも、全体として景気がよさそうなときには投融資の基準を緩め、悪そうなときには引き締めます。

それだけのことで、世界中の貨幣供給量や金利が決定されているのです。たとえば、すでに覇権を失いつつある覇権国家、アメリカを見てみましょう。

消費者物価指数よりずっと敏感にコロナ対策の大盤振る舞いに反応した生産者物価ですが、ちょうど去年の今頃ユーロダラーがいっせいに引き締めに転ずると、あっさり前月比で低下しはじめました。

とくに膠着性が強くて、いったん上昇に転ずると長期化すると言われているサービスの生産者物価指数は、前月比では上昇率の低下どころか、もう下落に転じています。

もっとわかりやすいのが、国際金融危機以降「世界経済の救世主」ともてはやされていた中国製造業とユーロダラーの関係です。

工業生産高をとっても、小売り売上高をとっても、中国経済はユーロダラーが引き締め基調でない時期には横ばいから上昇を維持しますが、ユーロダラーが引き締めに転ずるたびに下落に転じ、ユーロダラー危機が起きるたびに成長率が低下しています。

ふり返ってみれば「社名の最後に.comを付けさえすれば株価が上がる」と称して、ハイテクまがいのうさん臭い企業を量産した挙句にバブルが崩壊した2000~02年頃が、アメリカの先端産業が世界経済を振り回していた時期の最後だったような気がします。

その後は表面的には中国製造業、実際にはユーロダラーが世界経済を振り回すようになりました。世界の通貨発行権を握るユーロダラーには、3つの特徴があります。