相次ぐ迷惑動画……発信する子どもたちの共通点は?

過去の事例を見れば、ふざけ半分で迷惑行為を撮影した動画を投稿すると、どのよう結末を迎えるのかは火を見るよりも明らかだ。それなのに迷惑動画を投稿する若者が後を絶たないのは、なぜだろうか。

「周囲の目」に関する認識の違い

「周囲の目」に対する認識の変化が大きな要因ではないか、といわれている。「おてんとうさまが見ている」「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉があるが、いわゆる「周囲の目」とは非人道的、非常識的言動を抑止する機能を持つ世間の目という意味で、これが我々の認識だ。

しかし、迷惑動画を投稿する若者にとっての「周囲の目」は、同じ価値観・意識を持ったコミュニティ内に限定されているという。その限定された「周囲の目」は時に抑止力にもなるが、一方で「仲間内でいかに目立てるか」、いわゆる「いかにバズるか」の競い合いになることもある、諸刃の剣のようなものなのだ。

では、どうして若者はこのような認識を持つに至ったのだろうか。それには2つの「親の悪影響」がある、と考えられる。

親が子どもに与える2つの「悪影響」

1つ目の悪影響は、「SNSは気軽に投稿してもよい場所」という勘違いだ。SNSの普及によって、多くの人が我が子の写真や動画を気軽に投稿するようになった。赤ちゃんが転んだり、食事中に寝落ちしたりする動画は、「ほほえましい動画」としてテレビなどに取り上げられることもある。

そのような動画を見て育った子どもが「動画は気軽に投稿してよいもの」と考えてしまうのも無理はない。また、再生回数が増えて喜ぶ親の姿を見て「再生回数は多ければ多いほどよい」と思い、再生数を稼ぐためになりふり構わず迷惑動画を投稿してしまうのではないだろうか。

もう1つの悪影響は「コミュニケーションの希薄化」だ。迷惑動画を投稿した若者のほとんどは「注目を浴びたかった」「再生数を稼ぎたかった」と話している。善悪の判断よりも、みんなに見られたいという欲望のほうが勝ってしまったのだろう。

通常、子どもは親とのコミュニケーションの中で「やってはいけないこと」を学ぶものだ。しかし、親子間のコミュニケーションが少ないと、子どもは「善悪の判断」を学ぶ機会を失う。

大切なのは親子で会話する時間

子どもの迷惑動画を止められるのは、やはり親しかいないだろう。迷惑動画はなぜいけないのか、これからの人生にどのような悪影響を及ぼすのか、ひざを突き合わせて理解してもらえるまで話をすることが大切だ。

文・山田千景

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