そうした前提を設定すれば、
「はるか未来への影響が膨大なものとなってしまうので、現在のCO2の排出量、ひいては実質的にはあらゆる消費をかなり減らすことが正当化されることになる。」
とし、こうした立論では
未来の人間が現在の私たちより豊かであり、技術も進歩していて、おそらく今とは全く異なる問題に取り組んでいるという事実を無視してしまっている。・・現在の眼を通して未来を測定しようとすれば、必ず子孫たちから失笑を買うことになるだろう。
と警告している。
そのうえで第5章、第6章では、こうした「過大評価」された未来の危機に対して、現在の世代が巨額のコストや、行動の自由に制限をかけて対策を行うということに対して、警鐘を鳴らしている。
リスクが小さいのに保険料が高ければ保険を買おうという気にはならない・・ところが私たちはゼロではないにしろ非常に小さなリスクに高い保険料を払うよう要求されているのだ。
環境主義者が規制介入や禁止を正当化するため、予防原則を金科玉条にしているのを私たちは目の当たりにしている。このような規制を実行するには、差し迫った大災厄についてたっぷり説明した後、未来に関する単純きわまる道徳的で崇高な説教をし、アル・ゴア流の人類に関する「不安」を示しさえすればいいのである。・・予防原則の手法を利用すれば、ほとんどどんなことでも禁止できるようになってしまう。
・・勘違いの予防原則が、一貫した詳細な徹底的な費用便益分析なしに、石炭や原子力燃料から生まれる危険にまで応用されてしまい、全く効果が無く今後過剰な負荷を背負わせてしまう解決策に導いていくことに、私は最大の不安を抱いている。世の中には必ずなにかしらのトレードオフがあるものだ。そして交換すると、えてしてもっと高くついてしまいがちになる。そんなことはないと安請け合いすると無責任な大衆政治になりかねない。
興味深いことに同氏は、原子力に対する環境主義者の批判についても、変動性という本質的な弱点を抱えた太陽光や風力などの再エネに偏重して解決策を見出そうという昨今の風潮まで予見している。
科学的知見に基づく政策推進という、今日では疑う余地なく主流となっている気候変動対策の進め方についても、同氏は、同書の中でIPCCの報告書の「政策立案者向けサマリー」について疑念を示している。
基本的な問題とは・・発生する恐れのある大災厄に取り組む計画を実行に移し、できるだけ多額の公的資金を獲得するため、真実の一部だけを故意に大衆に広めようとしているように見受けられるのだ。
この恐れのある大災厄が、より『予期せぬ事態』に見えれば見えるほど、科学者たちはもっと多額の資金を使えるようになるだろう。」
研究で現存するデータから温暖仮説と異なる予測や説明を導き出した科学者は、必ず脅されることになる。「邪悪な」石油会社に協力していると非難されたり、補助金が使えなくなったり、昇進できなくなってしまうのだ。・・共産主義の時代にもこのように個人的に脅しをかけられていた人々がいた。
このように、ともすればイデオロギー化が懸念される科学レポートの在り方についても警告を発している。