逆に1920~80年代までのイギリスが平均値として最高気温が異常に低い時期だったのかもしれません。
実際に1960~80年代初めまでの自然科学者や大手メディアは、圧倒的に「地球寒冷化」を懸念していて、温暖化が問題だと唱える人はほとんどいなかったのです。
また過去1000年間で1日限りの最高気温が1540年に達成されていたという事実は、当時「地球全体が趨勢として温暖化していた」という証拠ではなく、むしろ地球全体の温暖化や寒冷化には関係なく、突発的な異常高温や異常低温は起きることを示唆しています。
過去1000年で長期間(たとえば10年間、あるいは50年間)非常に暑かった時期が続いたのは、間違いなく中世温暖期と呼ばれる9世紀末から12世紀でした。
何しろ期間を長く取れば取るほど均されてしまうのに、100年平均で全期間平均より0.7℃近く温暖だったのです。でも、過去1000年間でたった1日の最高気温記録が達成されたのは、2番目の0.3度弱という山であるルネサンス温暖期もすでに下り坂に入った頃のことです。
現代温暖化のピークはおそらく2010年代頃になると思いますが、その時期を中心にした100年間が、中世温暖期のように全期間平均気温より0.7度も高くなるかどうかは疑問です。
ましてや、これからもずっと温暖化が続き、人間だけではなくあらゆる動植物が生きて行けないほど全世界の平均気温が上がると主張するのは、木を見て森を見ないタイプの議論だと思います。
この点について、とくに欧米人のあいだで何かしら自然現象に異常と見られることが起きると、すぐ「これほど大きな平均値との乖離は人為的原因がなければ起きない」と主張する人が多い事実には、興味深いものを感じます。
ヒューマニズムはありがたがるほどのものか?上のグラフをもう一度眺め渡すと、100年以上平均値より高温が続いた時期には、必ずヨーロッパでヒューマニズム運動が盛り上がったことに気づきます。
人文主義、人間主義、人権尊重思想などいろいろな訳語がありますが、私は人間中心主義と訳すのが適切だと思います。
たいそう立派な主張のようですが、反面「人間に解明できない謎はない」とか、「人間こそが全宇宙の自然を支配するために神に遣わされた存在だ」という傲慢な主張でもあります。
そして、「しょせん自然は神の似姿に創られた人間に奉仕するためにあるのだから、あまり人間がいじめたら衰弱死することもあるし、目に余る暴威をふるうようなら人間がその力を封じることもできるひ弱な存在だ」という自然軽視思想でもあります。
こうした思想に根底で支えられたヨーロッパ人とその系譜を引く北米人は、自然災害についても、強引に人為の介在を信じこむ傾向があるようです。
たとえば、中世を通じて何度かペストやコレラなどの大疫病が勃発した際、ヨーロッパのキリスト教徒たちの多くが「ユダヤ人やイスラム教徒が毒を撒いているに違いない」と確信していました。
この確信を裏付けたのは「我々はやましいところがないから祈りを捧げる前にも食事の前にも手を洗わないが、あいつらはやましいから祈りと食事の前に必ず手を洗う」という自分たちの公衆衛生道徳の不備を逆手に取った理由なのですから、始末に負えません。
1540年の未曾有の酷暑のときにも、カトリックが優勢な地域ではプロテスタントが、そしてプロテスタントが優勢な地域ではカトリックが、農作物に火を付けて野火を起こした極悪人として残虐な処刑の上で、遺体がさらしものにされました。
まさに、ルネサンスの「人間復興」が頂点をきわめた頃のことです。「地球温暖化の元凶は人為的な二酸化炭素排出量の激増だ。だから人類全体が悔い改めなければならない」という主張は、危険です。
花のルネサンス期に並行して進んでいた宗教改革派(プロテスタント)と対抗宗教改革派(カトリック)の血みどろの抗争を現代に甦らせるかもしれないからです。
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編集部より:この記事は増田悦佐氏のブログ「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」2022年1月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」をご覧ください。