これはとんでもない責任逃れの議論です。

有史以来、多くの人々が飲み水や灌漑用水を求め、水運の便を考えて大河のほとりに定住してきました。先史時代でも、定住農耕をおこなうようになってからはほぼ同様だったでしょう。

そして、多くの国で時の権力者がが治水に積極的であれば経済的にも発展し、政権も安定するけれども、逆に治水に消極的であれば経済発展もままならず、政権も不安定になるという栄枯盛衰をくり返してきました。

とくに、近代産業革命以後の土木技術の発展はめざましく、過去1~2世紀にわたって洪水などの水害で失われる生命や資産はさまざまな自然災害の中でもっとも急速に減少しているのです。

また、モンスーンシーズンに大量降雨が起きがちなパキスタンでは、過去に何度も大洪水による被害が大きく国民経済にのしかかった歴史があります。

降雨量の激変する地域で突然月間降雨量が平年の3倍になるのは、珍しいことですが、人為的二酸化炭素排出量の激増を原因に持ち出さなければ説明の付かないことではありません。

次の地図グラフは、濃い青の線が河川、青がにじみ出ているところが水害による冠水地域です。

ご覧のとおり、2022年8月27日の惨状は言うまでもありませんが、2021年の同月同日にも、今回の大氾濫が起きた地域内であちこちに冠水地域が出ていたのです。

もちろん、前年のうちに堤防などの修復や強靱化に取り組んでいれば、今回の大災害を防げただろうなどという生やさしい話ではありません。大河の水系全体を氾濫による洪水から守るにはおそらく数十年の計画的な取り組みが必要でしょう。

ですが、第二次世界大戦後独立したパキスタンには、こうした地道な努力をおこなう時間はあったのです。

その中で、パキスタンはどうせ使えないだろうし、むしろ使えば自国に破滅的な被害をもたらすだけであろう核兵器にしがみついていながら、洪水に対応する治水対策には十分な時間と財源と労力をかけなかったのです。

問題はこうした無責任な為政者が、「地球温暖化による不可抗力」と言えば免罪され、またジャーナリストも、どんな災害についても地球温暖化に結びつけて「解説」すれば、欧米大手マスメディアにもてはやされるという風潮がすっかり定着してしまったことです。

なお、地球温暖化のせいにすれば免罪される為政者は、発展途上国だけに存在するわけではありません。むしろ、発展途上国の為政者が怠惰によって災害規模を大きくしたのに比べて、積極的軍事介入をしておきながら免罪される超大国のほうが罪は重いでしょう。

ソマリアの飢饉も地球温暖化のせいなのか?

ソマリアは「アフリカの角」と呼ばれる東に向かって突き出した岬を持つ、サヘル(サハラ砂漠以南)諸国の東端に位置する国です。

この国では、過去10年近くにわたって農作物の不作、凶作が続き、次の写真に見るような栄養不良によってやせ細った子どもたちが大勢います。

なんともいたたまれない思いのする写真です。ですが、この21世紀にも存在する飢饉の元凶はけっして地球温暖化ではありません。

ただ、ソマリアがとくに日照りによる被害を受けやすい国なのは事実です。