そうである以上、その巨大リスクが顕在化することがないように、最新の科学的・専門技術的知見に基づく予見対象津波により、周辺環境に放射性物質が大量放出される過酷事故が発生を防止するために万全の措置を講ずることが、電力会社経営者の当然の善管注意義務だったが、東電の取締役がそれを尽くしていたとは言えないことは明らかだった。

そこには、「国の原子力政策への盲従」、「安全神話の妄信」、そして、「電力会社間の横並びの意思決定」があるだけで、本来、上場企業の経営者として求められる「自律的ガバナンス」は全く存在していなかったのではないか。

福島原発事故前、電力会社の経営者は、日本では放射能漏れを伴う原発事故は起こり得ないという「安全神話」を前提に、その「神話」について、世の中の理解、とりわけ原発周辺住民、立地自治体等の理解を促進するという「理解促進活動」を徹底すること、その関係者・有力者を懐柔し、原発の運転に支障が生じないようにすることが「至上命題」であった。そして、そのためにはコストを惜しまないこと、そして、そのような「理解促進活動」を組織的に行うが、実態の一部は、世の中に知られることがないよう秘密裏に行うことなどが大前提とされていた。

しかし、そのような「安全神話」を前提とするガバナンスは、福島第一原発事故という放射能漏れによる重大事故、悲惨な被害の実態を目の当たりにした、「原発事故後の世の中」においては、到底通用するものではなかった。

「ガバナンス不在」の東京電力経営陣の福島原発事故対応の惨状

原発事業という電力会社事業の根幹に関わる「ガバナンス不在」は、福島原発事故発生直後から、様々な不祥事として顕在化した。

東日本大震災に伴う大津波が襲来し、東電福島第一原発が危機にさらされていた時に、事故当事者の東電代表取締役2人はどのような行動をとっていたのか。

清水正孝社長は「関西に出張中」と報じられたが、実際には平日でありながら妻と秘書を従えて、奈良観光をしていた。大地震による交通途絶のため、東電本社に戻ったのは翌日午前10時だった。3月13日に記者会見を開き、放射性物質の漏洩を謝罪したが、その後、めまいや高血圧で入院したこともあり、公の場に姿を見せたのは事故から1ヶ月目の4月11日だった。

勝俣恒久会長は、東日本大震災当日、副社長とともに、日中の経済交流を進める訪中団の一員として中国にいた。福島原発事故の最中、自衛隊統合幕僚監部運用部長に対して「自衛隊に原子炉の管理を任せます」と東電の事故対応の責任を放棄するかのような発言をしたことも問題とされた。

一つ間違えば東日本が壊滅する程の深刻な原発事故を目の当たりにし、多くの国民が、原子力事業がいかに大きな危険をはらむもので、一度事故が起きれば、多くの市民・国民の生活を破壊し、社会にも壊滅的な影響を与えるものであるかを痛感した。そうした中で、原発事故当事者の原子力事業者である東電の代表取締役2人の事故後のあまりに無責任な対応・言動に、東電のみならず電力会社の経営者全体に対する信頼が大きく損なわれることになった。

「九電やらせメール事件」の原因となった原発「理解促進活動」の不透明性

原発事故後、原発施設の安全対策が十分なのかという客観面の問題に加えて、原発事業を運営する電力会社が、万一重大な事故が発生した場合に、安全を確保するための万全の措置をとり得る能力を有しているのか、情報公開・説明責任等について信頼できるのかという人的、組織的な問題が、社会の大きな関心事となった。

電力会社の「ガバナンス不在」は、福島原発事故後、停止中の原発の運転再開をめぐる世論形成に関する不祥事という形で顕在化した。事故後初の運転再開をめざしていた玄海原子力発電所2、3号機について、経済産業省が主催し生放送された「佐賀県民向け説明会」実施にあたって、九州電力が関係会社の社員らに運転再開を支持する文言の電子メールを投稿するよう指示していた「やらせメール問題」が表面化した。

この問題について、九州電力は、第三者委員会を設置し、委員長には私が就任した。委員会の下で調査を担当した弁護士チームにより、佐賀県の古川康知事の発言を発端に、九州電力が、説明番組に関して、同社及びクループ企業社員・取引先社員等に働きかけて、組織的に「賛成投稿」を増やそうとした事実が明らかになった。

それに加え、2009年の玄海原発3号機へのプルサーマル導入に関する佐賀県主催の討論会でも、「仕込み質問」で会場の市民からの賛成意見を偽装するなど、原発をめぐる議論の透明性を害する行為を行い、そのことが佐賀県側に事前に報告され容認されていた事実も明らかになった。

これらの事実を踏まえ、第三者委員会報告書では、問題の本質を、福島第一原発事故による環境の激変に適応し、事業活動の透明性を強く求められるに至った九州電力が、その変化に適応できず、企業としての行動や対応が不透明であったこと、その背景に、九州電力と原発の立地自治体側との不透明な関係があったことを指摘した。

このような原発事業に関連する「不透明性」が問題の本質だとする第三者委員会の指摘に対して、真部利應社長を中心とする九州電力経営陣は強く反発した。調査開始後まもなく、原発部門は、立地自治体の政治家との関係に関する資料廃棄などの露骨な調査妨害行為を行い、内部告発で、廃棄の最中に発覚しても毅然たる態度をとらなかった。

第三者委員会の調査結果に対しても、「当社の見解」を公表して、古川知事の発言が組織的な賛成投稿の発端だったことを否定し、第三者委員会の調査結果を経産省に報告する際にも、古川知事に関する部分を除外するなどした。

当時の枝野幸男経産大臣は、自ら設置した第三者委員会の意見を否定する九州電力経営陣の姿勢を厳しく批判した。

九州電力は、経産省から再報告を求められたが、その後も、第三者委員会側との対立が続いた。当時、福島原発事故後の、原発の稼働に対して世の中の厳しい見方が続く中で、九州電力の6基の原発はすべて停止しており、原発依存度の高い九州電力の経営は急激に悪化していた。そうした中、第三者委員会側との対立が続き、やらせメール事件からの信頼回復が果たせていなかった九州電力には原発再稼働の見通しが全く立たない状況だった。