野党勢力は
ー野党勢力はどうか。強い位置にいるのか。
スタシンスキー氏:強くない。
ビエリンスキ―副編集長:ポーランドの政界の問題は、2人の政治家への支持に分断されていることだ。まず、Pis党首で元首相のヤロスワフ・カチンスキ―。伝統を破壊し、社会不安を増大させている。米国の元トランプ大統領のような人物だと思ってほしい。極度に古めかしい価値観を持っている。
もう一人は、「ポーランド市民プラットフォーム」(略称PO)党首、元首相のドナルド・トゥスク。欧州の民主主義を支持する政治家で、EUの大統領でもあった。私は彼を好んでいる。トスクは国際的なネットワークが広く、ポーランドの課題を良く知っている。リベラル派だ。
カチンスキ―は大量の時間と資源を使って、国民がトゥスクを嫌うように仕向けた。必ずしも成功したというわけでないけれども。
スタシンスキー氏:最大野党POSの党首に対する憎悪を引き起こすようなキャンペーンを張っている。トゥスクはドイツ人の裏切り者だ、ドイツの召使になっているなどという。
ビエリンスキ―副編集長: 「親ロシア」ともいう。
スタシンスキー氏:親ロシアで親ドイツ、というわけだ。
2010年の旅客機墜落事件をめぐる陰謀論―カチンスキ―氏というと、2010年4月、弟のレフ・カチンスキ大統領が第2次世界大戦中に多数のポーランド将校が殺害された「カチンの森事件」の追悼式典に向かうために搭乗した飛行機が墜落し,死亡した悲劇があった。政治的にはどんな受け止められ方をしたのか。
カチンの森事件とは:第2次世界大戦中のソビエト連邦によるポーランド将校大量殺害事件。 1939年9月、ソ連はポーランドに侵攻し,約 1万5000人のポーランド将校を捕虜にした。そのうち 400人を除く大部分が所在不明に。1943年4月13日にドイツ宣伝機関は,ソ連のスモレンスク郊外にあるカチンの森で 1940年4月頃殺害されたと推定される 4443人のポーランド将校の射殺死体を発見したと発表。これに対しソ連はドイツ軍によるものと主張し続けた。1990年4月,ソ連は事件におけるみずからの非を認め,公式にポーランドに謝罪した。(「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」から抜粋)
ポーランド空軍墜落事件とは:2010年4月10日、ポーランド空軍の旅客機がロシア西方スモレンスク州のスモレンスク北飛行場[2]への着陸進入中に墜落した航空事故。カチン森の犠牲者追悼式典に出席予定だった大統領夫妻、政府や軍の要人など96名全員が死亡した。追悼式典は、4月7日にロシア・プーチン首相とポーランド・トゥスク首相(当時)が出席して既に行われていたが、ロシア・メドヴェージェフ大統領は10日のカチンスキ大統領らが出席する別の式典に参加する予定だった。(「ポーランド空軍Tu-154墜落事故」ほか)
ビエリンスキ―副編集長:あれは事故だった。レフ・カチンスキ―大統領は非常に弱い政治家で、私たちは彼を無能だと批判してきた。大統領選挙が近づいており、カチンの森の追悼式典を選挙運動のスタートの場所として選んだ。
着陸予定の場所は古い軍事基地で、滑走路などの設備が十分に整っていなかった。ただ、カチンの森に近かった。どうしても式典に間に合う時間に到着する必要があった。
スタンスキー氏:ほかの式典出席者や報道陣が式典の場所で大統領一行の到着を待っていた。テレビやラジオの生中継が始まっていた。天候がひどくて霧が深く、とても着陸する状態ではなかったが。
ビエリンスキ―副編集長:霧で先が100メートルほどしか見えない状態だった。航空機自体にも問題があったこと後で分かった。何とか着陸はしたものの、衝突してしまった。
スタンスキー氏:亡くなったパイロットに責任が押し付けられた。
ビエリンスキ―副編集長:事故発生直後から、「フェイクニュース」が広がった。陰謀論だ。あれは事故ではなかった、暗殺だったのだ、と。次にトゥスク首相が責められた。数日前の追悼式典の出席したロシアのプーチン大統領と結託して、自分の弟になるカチンスキ―大統領を暗殺したのだ、と兄のカチンスキ―は主張した。
2020年、米大統領選挙で、トランプ候補は選挙が偽物だと主張した。それと全く同じような現象が兄カチンスキ―に起きた。証拠もないのに暗殺説を主張して、これを国民が信じて、カチンスキ―のフォロワーになっていった。カチンスキ―は、国民の中で自分たちの生活に不満を抱いている人や反ユダヤ主義の人を支持者のグループとしてまとめていった。こうした政治基盤が今のPiSによる単独政権の発足につながり、今に至っている。
数か月前、テレビ局TVAが調査報道をした。これによると、PiSは2015年に政権に復帰した時、改めて、事故の調査を行った。この時、そして、新型コロナの感染が増えた時のデータについても、自分たちに都合が悪い情報を省くなど、操作していたこと分かった。
スタシンスキー氏:もちろん、2010年の事故直後、政府が独立調査委員会を設置した。この委員会の構成員は約30人の航空事故の専門家たちだった。約1年をかけて調査し、2011年に報告書を出している。
報告書は衝突の大惨事だったと結論付けた。当時の状況下では着陸するべきではなかったのだ、と。どこで間違ったのかを詳細に記していた。
しかし、PiSはこの報告書をすべて否定し、「フェイクだ、真実ではない」「ロシアが書いたものだ」と主張した。もちろん、そんなことは全く馬鹿げている話だ。
そこで、PiSは過半数の議席を持つ下院を通じて、委員会を設置した。構成員は専門家ではない人々だった。暗殺だった、と言わせるためだ。
ビエリンスキ―副編集長:(スマートフォンの画面を見ながら)おや、ちょっと待ってほしい。今、新しい世論調査の結果が出た。野党政党すべてを総合すると支持率は31%。PiSは28 %だ。
スタシンスキー氏:分かったよ。
ビエリンスキ―副編集長:信じていないんだね?
スタシンスキー氏:信じるよ、信じるよ。
話を続けると、この委員会のために、米国のウィチタ大学が詳細な分析を行った。しかし、委員会の報告書にはこの分析は入っていなかった。それは、事故であることを示す報告だったからだ。
ビエリンスキ―副編集長:あれは暗殺だったという解釈は、PiSの支持者の間では一種の宗教になっている。神話とさえ言える。しかし、問題はこういう認識を土台にして勢力を拡大してきたということだ。