民主主義社会を築くことの困難さ
ーなぜ今このような状況になっているのか。
ビエリンスキ―副編集長:非社会主義政権となったときの衝撃から話さなければならない。社会体制の変更で、すべてを失った人もいる。軍隊も破産状態になった。
スタシンスキー氏:自由主義経済の実現は難しすぎた。
ビエリンスキ―副編集長:自由主義経済への嫌悪感を国民に生じさせた。これは東欧諸国に共通している。ポーランドばかりか、ドイツでも、チェコでも、スロバキアもそうだ。かつて政権を担っていた人々だけではなく、民主主義支持者、リベラルな人々の間にも自由に対する嫌悪感が生じた。
2004年に欧州連合(EU)が東方に拡大し、ポーランドが加盟国となった。インフラや教育、ヘルスケア等、すべてを改善するためにEUから巨額の支援を得たが、それでも、それまでの体制から民主主義社会に変わるには十分ではなかった。
今、ポーランドでは2015年の総選挙で勝利した政党(PiS)による政権が続いている。「メディアは厳格な規則の下で運営されるべき」と考える政党だ。経済は国家の完全な統制下にあるべきだと。大学もだ。国が統制する体制を再導入することを望んでいる。
民主化革命が起きた1989年に私たちが達成したのは、1つの組織がメディア、文化的生活、教育、司法制度を直ぐに支配するようにはできない体制のはずだった。
民主主義社会の一環として、メディア、文化的生活、教育、司法制度それぞれが運営されるはずだった。
しかし、与党はこの体制の実現を遅らせようとしている。今や、1989年の体制に戻りつあるのだと思う
自由主義経済への幻滅ー与党はなぜ支持を得ているのか。
ビエリンスキ―副編集長:大きなきっかけとなったのは、世界金融危機(2007-8年)だったと思う。実際には、09年までにはポーランドの経済は回復基調であったことが後で分かっている。しかし、金融危機が社会に与えた打撃は大きかった。
例えば、雇用市場への影響だ。雇用についての規則がそれほど厳格ではなかったので、雇用主は従業員を簡単に雇用したり、解雇したりできた。自由主義的過ぎたのだ。失業の憂き目にあった人にとっては、一種のトラウマになってしまった。
危機が終わり、経済が回復した頃、選挙が行われた。Pisは自由主義的な政策を支持していなかった。以前よりももっと実務的な社会支援の政策実行を計画した。
財政出勤をするのは困難ではなかった。当時は経済の回復時であったし、国庫にはたくさんの資金があったからだ。しかし、ガゼタ・ヴィヴォルチャは2016年ごろから将来への投資の比率が低すぎると警告してきた。
ポーランドは今、大きな金融危機状態にいる。どうなるか、怖いぐらいだ。こんな時、政権は国民に支援金を出している。
これが与党が支持されている最初の理由だ。
2つ目の理由は2015年5月、コモロフスキ大統領の任期満了に伴う大大統領選挙が行われたときのコモロフスキ陣営の愚かさだ。完全に失敗した。
決選投票で当時の最大野党PiSが擁立したアンジェイ・ドゥダ候補が51.55%の得票率で現職を破り、新大統領は8月6日に就任した。
同じ年の10月25日、今度は総選挙が実施された。PiSが上下両院で単独過半数の議席を獲得した。11月16日、89年の民主化後初めてPiSによる一党単独政権が発足した。
議会で過半数を取ったので、やりたいことは何でもできるようになってしまった。
政権発足後、私たちの司法体制に問題があることが分かってくる。
私たちの憲法には「抑制と均衡のシステム」(権力のそれぞれの部門が、互いに相手の権力を抑制して拮抗する勢力となり、特定の部門が肥大化して専横な振る舞いをすることを防ぐシステム。通例、国の立法、司法、行政の三権分立を指す)が機能するようになっていたが、与党はすべての予防手段を回避する道を見つけた。
その最初の一歩が憲法裁判所だった。