「共助社会づくり」も消えた

他にも『改革の基本方針』で謳われた「共助社会づくり」(:12)が消え、「社会保険を始めとする共助について、包摂的で中立的な仕組みとし、制度による分断や格差、就労の歪みが生じないようにする」(同上:31)もまた、『全世代社会保障』ではその方法と内容の深まりは見られない。

「人への投資」表現への疑問

第三の論点としては、3冊ともに繰り返し多用された「人への投資」という表現の是非があげられる。たとえば『新しい資本主義』では、4頁の「重点投資」の筆頭に置かれ、『改革の基本方針』でも「少子化対策・こども政策は、包摂社会の実現に向けて重要であるだけでなく、『人への投資』としても重要」(:5)とされていた。

そして『全世代社会保障』でもたとえば6頁の「所得再分配」の一環としてや、16頁の「労働移動」に関してその使用が認められる。

しかし、3冊でいとも簡単に使われた「人への投資」は、「利益を得る」ためなのかという根本的な疑念が生じる。なぜなら、通常の言葉としての「投資」(investment)は、その目的に必ず「利益」や「収入」や「所得」を前提にするからである。企業の投資はもちろん、個人投資もまたなんらかの「経済的利益」を得るために行われる。そうすると、「人への投資」も「利益」を求めて行われることになるが、その使い方でいいのかという疑問である。

科研費は研究者に「投資」されてきたのか?

たとえば、政府が科学研究費(科研費)を予算化し、全国の研究者がこの獲得のために申請して、その採択率が25%程度だとする。そうすると、残り75%は科研費の恩恵にはもちろんあずからないが、採択されたからといっても、すぐに研究成果が得られるとは限らない。なかには実験や調査で失敗もある。そうすると、政府が研究者に「科研費を投資する」という表現は不都合になり、現にこれまでの100年間の歴史においてもこの種の表現はなされてこなかった。

特定の研究に金銭的支援(投資)をしても、直接的な見返りとしての研究成果(利益)が必ず出るわけではないからである。

このような科学の歴史からすると、2022年に岸田内閣が出した3冊の報告書で多用された「人への投資」という表現は、私にとっては違和感が多く、納得しにくいものであった。

「『将来世代』の安心を保障する」

以上のような論点満載の「全世代型社会保障の基本理念」の筆頭は、「『将来世代』の安心を保障する」にあった。ここで言われるまだ生まれていない「世代」も含めた「全世代型社会保障」の対象は、国民の全集合に他ならない。

報告書5頁に若年期、壮中年期、高齢期が例示してあるが、要するにゼロ歳から100歳までの全集合が「安心できる社会保障」(:5)をこれは意味する。さらに「負担を将来世代へと先送りせず」(:5)に、「現在の現役世代」の安心を確保するという主張がなされている(:5)。

これはどのようにしたら可能か。その解明のため「世代会計論」で考えてみよう。

「世代会計」から判断する

12月公表の『全世代社会保障』では、「負担は現役世代」「給付は高齢世代」という伝統的思考から転換したことが顕著にうかがえる。そしてそこには明示的ではないが、コトリコフが開発した手法、すなわち「世代会計」の発想が読み取れる。

「世代会計はだれが助けられ、だれが傷つくのかを明らかにする。世代会計では、ある世代が少ない支払いで済むような政策は他の世代にそれに比例したより大きな負担を課すものである」(コトリコフ、1992=1993:30)とされた。したがって世代会計とは「彼方立てれば此方が立たぬ」部分を必然的にもつ内容としても理解できる。

「世代会計」の公式

いわば一つの時代に共存・共生する数世代の中で、何らかの理由で得する世代があれば、必ず損をする世代も生まれる会計方式と当初は考えられたように思われる。しかし12年後のバーンズとの共著では、(1)の公式が示されて、「政府の請求書をどの世代が払うかを明らかにするために開発された」(コトリコフとバーンズ、2004=2005:332)とされた。その公式は

A=C+D+V-T……(1)

ただし、A:将来世代の負担 C:政府支出の現在価値 D:公的債務 V:潜在的債務 T:現在世代の支払う税収の現在価値となる(同上:83)。

まだ生まれていない将来世代の負担総額(A)は、政府が毎年支出する予算として歳出する金額(C)、国債など国の借金としての公的債務(D)、各種年金など社会保障費関連費用などの潜在的債務(V)があるが、もちろん現在世代の支払う税負担や社会保障関連費用(T)などが差し引かれることを(1)は示している。

コトリコフとバーンズは、将来世代の負担ができるだけ軽くなる手法として、「世代会計」手法を考案したことになる。「我々は集団で、子供たちにわずかな手掛かりさえ与えずに彼らの経済的未来を危険にさらしている」(同上:334)にその意図が読み取れる。

(1)を使えば、Aをできるだけ少なくするには、CDVを減らし、Tを増やせばいいのだが、さまざまな世代が置かれた事情があり、それは簡単ではない。

世代内でも世代間でも鮮明な階層格差が存在する

なぜなら、世代内でも世代間でも鮮明な階層格差が存在している事実への対処が、「世代会計」でも難しいからである。

加えて『全世代社会保障』では、(1)のA(将来世代の負担)を軽くするために、T(現在世代の支払う税や社会保障負担)を増やすことではなく、同じくT(現在世代)に所属する「若い世代」(T1)と「高齢世代」(T2)の間にも「負担」の在り方を見直そうという提言が含まれている。

それは、「社会保障を支えるのは若い世代であり、高齢者は支えられる世代である」(『全世代社会保障』:5)という文章に、「負担見直し」の意図を見る。マスコミでは、この文章から直ちに「高齢者の負担増」という解説をしていたが、それ以外の負担増には触れなくてよいか。