3冊に見る共通の特徴

まずは12月の『全世代社会保障』と、6月の『新しい資本主義』と『改革の基本方針』との共通点を整理しておこう。

その一つは、せっかくその報告書で肝心なキーワードを使いながら、その定義を行わないという特徴が指摘できる。『新しい資本主義』で当時話題になった箇所、すなわち、「資本主義のバージョンアップ」に関連していわれた、「資本主義を超える制度は資本主義でしかありえない。新しい資本主義は、もちろん資本主義である」(『新しい資本主義』:1)という一文に象徴される。これは単なる開き直りというレベルではなく、学術的な叙述のスタイルを完全に無視した書き方であった。

もう一つは『新しい資本主義』でも重要な位置づけがなされた「V 経済社会の多極集中化」のうち、「1.デジタル田園都市国家構想の推進」における「田園都市国家」の未定義である(同上:27)。執筆担当者が「田園都市国家」に全く触れず、「デジタル基盤の構築」を優先したかったことはよく分かるが、それならば「田園都市国家」を使う必然性はどこにもなかった。

なぜなら、「田園都市」の主唱者ハワードも『明日の田園都市』もここにまったく登場しないからである。1898年にハワードは、田園の中で独立した新しい人口3万人程度の理想都市として「田園都市」(garden city)を発表した。この内容を一切省略して、「デジタルサービス」「デジタル基盤の構築」「デジタル推進委員」「地域協議会」「digi甲子園」などが代わりに出てきた(同上:27-28)。この体質は『全世代社会保障』にも濃厚に引き継がれている。

『全世代社会保障』で「世代論」がなかった

その『全世代社会保障』では、肝心の「世代」論が展開されなかった。

一般に「世代」とは同じ時代に生まれた人々の集合を意味するので、「全世代」は異なる時代に生まれた人々の全集合になる。すなわち、団塊世代を例にすれば、1947、48、49年生まれを中に挟んで46年の誕生者から54年生まれ組までの幅がある。30歳離れた団塊ジュニア世代であれば、1980年代前期を核とした10年程度の幅を持つ中年世代になる。そして60年後の団塊世代の孫世代ならば、2010年代生まれの年少世代になる。

タイトルにも使われた「全世代」とは、これら三世代を含む世代全集合が同じ時代に同時存在することを包括した用語になる。この簡単な定義が行われないと、「世代論」の活用が難しくなる。

この理由には18人の構築会議委員に社会学者がいなかったことがあげられる。「世代に関するかぎり、問題の輪郭を素描する仕事は、疑いもなく社会学のものである」(マンハイム、1928=1976:168)。この古典が指摘するように、社会学者が皆無ならば、「全世代で支え合い、人口減少・超高齢社会の課題を克服する」議論が不十分になるのは仕方がない。この克服が『全世代社会保障』の第一の論点になる。

なぜなら、「全世代」の軸となる「世代連関」は、異なる「世代統一」の全集合になるからである。これは簡単ではない。それは世代の代わりにジェンダーや人種や民族、そして宗教を挿入して、その後に「ジェンダー連携」「人種連携」「民族連携」「宗教連携」などがいかに困難かを考えてみればよく分かるであろう。

自助・共助・公助が消えた

第二の論点は6月の『新しい資本主義』では29頁に、そして『改革の基本方針』でも26頁で使われた「自助・共助・公助」が『全世代社会保障』では消え去り、わずかに4頁に「互助」が登場しただけである注4)。

しかも「互助」が使われたのは、一人暮らしの高齢者の増加、孤独・孤立の深刻化のなかでのケアとしての体制整備の文脈(:4)であり、23頁の「住民同士が助け合う」という使い方であった。

孤独・孤立の大きな原因に、少子化対策として40年間政府が継続してきた「ワークライフバランス」(前半は両立ライフといわれた)における「コミュニティ排除」にあったことが忘れられている注5)。