じつは、突然こんな古い曲を思い出したについては、ある小さな事件がきっかけとなっています。まあ、私が思い出すのは、ほとんど自分が生まれる前に書かれた古い曲ばかりなのですが。
上司ひとりを殺し、拳銃自殺というのはアメリカでは小さな事件だが……アメリカでは、年間約2万人が銃による殺人事件の犠牲になっています。そういう国で郵便局員が直属の上司ひとりを銃で撃ち殺し、逃走中の自動車の中で自分の頭を撃ち抜いて自殺したというのは、小さなローカルニュースに過ぎないでしょう。
しかし、その陰に新しいものが登場するたびに古いものを捨て去っていく、アメリカ文明の基本形が浮かび上がってくるような気がするので、あえて『チャタヌガ・チュー・チュー』の牧歌性と対比して、この「大きなスモールタウン」のその後を取り上げてみようと思ったのです。
チャタヌガ市中央郵便局で、若い局員がふだんから口論の絶えなかった直属の上司を殺して自動車で逃亡する途中、車内で自分の頭も撃ち抜いて自殺し、クルマをネイルバーの店に突っこませるという事件を起こしました。
最初の2枚の写真が上司を銃で撃ち殺した現場であり、次の2枚が犯人がハンドルを握ったまま自殺したあとにクルマが突っこんだネイルバーの犯行直後の写真です。
事件の背景として、ネット化で手紙・葉書の配達需要が激減し、全米で約460あった集配センターのある中央局を200以下に削減する計画が2011年の時点で策定されていたという事実があります。
実際には、今年8月の段階でも集配センターのある局は全国に350以上残っていました。それだけ、郵便に頼る人々や労働組合の反発が大きかったのでしょう。
その中で、チャタヌガ中央局も統廃合の対象になり、中間管理職は効率化を推進する経営陣と、職を守ろうとする現場職員の板挟みになっていたのだろうと思います。
上司を撃ち殺した犯人は、自分のクルマで逃走する途中、車を走らせたまま自分の頭を打ち抜いて、写真左側の「ネイルバー」の看板を掲げた店に突入させました。右側は大破した店内の様子ですが、かなりのスピードで突っこんだことがうかがえます。
他人の命を奪ったから自分も死ぬというのは潔さそうに見えますが、罪もない大勢の人を巻き添えにするやり方はまったくいただけません。
ネイルバーというのはネイルペイントを待つあいだ酒を飲んでもらう業態で、おしゃれな若者たちのたまり場になっているようです。郵便局員という地味な仕事をしていた犯人が、そういう人たちのことを最期の道連れにしたいと思うほど、うらやんでいたということなのかもしれません。
新技術が登場すると、旧技術が捨て去られる文明それにしても、インターネットの普及で郵便配達需要が激減するやいなや、集配センターを半分以下に絞りこもうという方針もまた、なんとも余裕のないスタンスだと思います。
そして、アメリカは、約1世紀前に自動車が陸上交通でもっとも実用性の高い交通機関としてのし上がってきた頃、先行していた鉄道網をほぼ完全に切り捨てることによって大きな問題を抱えこんだのではなかったでしょうか。
私は、日本は世界中からいろいろなものを取り入れるけれども、何かを取り入れても前からあった同じような役割のものを捨ててしまうことはない、追加挿入型の文明だと思っています。
だからこそ人口稠密な大都市とその郊外を結ぶ交通機関として、安全で安上がりに大量輸送を担える鉄道網が衰退することはありませんでした。
逆に、アメリカは自動車と飛行機を取り入れたら鉄道網をほぼ完ぺきに除去してしまう、上書き消去型の文明です。
去年、おととしと今年ほど驚天動地の大事件が続発していなかった頃、アメリカの食品加工会社が次々にハッカーにネット内に保存していた帳簿類をロックされてしまって、日常業務に差し支えるので巨額の身代金を払って、解錠する方法を教えてもらったというニュースが出ました。
アメリカ企業は「ペーパーレス化」と号令がかかると、ネット上に置いてある帳簿の内容をときどきプリントアウトして保存するどころか、インターネットとつながっていない「冷たい」コンピューターにコピーを保存することさえしない会社が多いようです。
黒塗りのT型フォード1車種で量産効果を最大限発揮して、ふつうの工場労働者の賃金でも自動車が買える社会を創出したのは、たんなる技術だけではなく、文化的にも偉大な革新です。
しかし、平均的な賃金を得られない貧困層は細々と運行されているバスを頼りに大都市中心部で生きていくしかないというところまで鉄道を廃絶してしまったのは、致命的な失敗でした。
今では、アメリカ中の大都市が自衛手段をカネで買える大金持ちと、どんなに不便で割高でも公共交通機関のある町でしか生きられない貧しい人々だけが残り、中間層の消え去った都市になっています。
テネシー州のチャタヌガという地名は、白人にとっての開拓時代に先住民(アメリカン・インディアン)の部族語で、深い川のほとりという意味だそうです。テネシー川の川幅はそれほど広くないけれども川底までの水深が深いので、大型汽船の発着できる良港がありました。
それとともに、鉄道ではオハイオ州最南端のシンシナチからほぼまっすぐ南下する鉄道があり、これが元祖チャタヌガ・チュー・チューです。
そして、この歌の主人公が乗った、ニューヨークからワシントンを経てノースカロライナ州シャーロットまで東海岸沿いに南下してから内陸に入る鉄道も通っていました。
ふたつの鉄道と汽船が発着する港との結節点として、チャタヌガは鉄道・汽船全盛期には水陸交通の重要な拠点でした。
この写真が撮られたのは、1947年というから驚きです。その頃までチャタヌガ周辺では汽船はごくふつうの実用的な水上交通機関でした。今でも、そうした時代を思い起こすよすがは、歴史遺産として残っています。
ただ、鉄道遺跡はいろいろ残っているのですが、実際に列車が運行されているのはルックアウト(見晴らし)山に登るために急勾配をスイッチバックするインクライン鉄道と、テネシーバレー(峡谷)鉄道博物館で運行している遊園地のおとぎ列車のようなアトラクションだけです。
ターミナル駅は残っていますが、高い天井を利用したホテルロビーに使われ、客室は止まったままの寝台車という趣向の観光ホテルになっています。
派手な赤と緑に塗り分けられた蒸気機関車が観光客を迎えてくれますが、その機関車が発着するための線路は完全に撤去されています。このアメリカ一大きなスモールタウンでは、鉄道は実用的な交通機関としての役割を完全に喪失してしまったのです。