でも、私は押しつけがましい戦意高揚歌でもなく、二度と会えないかもしれない別れをけなげに耐えるお涙頂戴歌でもなく、こんなバカ歌が第二次世界大戦中最大のヒットソングになったところに、アメリカ社会がまだまだ健全だった頃の名残りを感じてしまうのです。
第二次世界大戦中というと、まさにビッグバンドジャズの最盛期でした。でも、数ある人気バンドの中でも突出した人気で、バンドのメンバー全員が当人役で出演する長編劇映画が2本も放映されたというのは、グレン・ミラー楽団だけでしょう。
『チャタヌガ・チュー・チュー』は、そのうちの1作、『Sun Valley Serenade(銀嶺セレナーデ)』の劇中歌で、1941年8月の封切りとほぼ同時にレコードも発売されていました。
極めつけと言えば、フィルムはぼろぼろにすり切れたような画像になっていますが、本職はサックス奏者であるテックス・ベネキーが、この映画の1場面としてズブのしろうと丸出しの発声で歌詞を投げ出すようにぞんざいに歌うシーンでしょう。
まん中で野球帽をかぶってドヤ顔をしているのが、テックスです。この曲が爆発的なヒットとなったため、大戦末期の1944年にグレン・ミラーが搭乗機ともども失踪して帰らぬ人となったあと、バンドのリーダーを任されるほど楽団にとって貴重なレパートリーになりました。
もうひとつ名演を上げれば、第二次世界大戦前後のヒット曲は、ほとんどなんでもカバーしていた印象のあるアンドリューズ・シスターズの歌でしょう。
いろいろなコンピレーションに収録されていますが、YouTubeの『アンドリューズ・シスターズ:最大ヒット、最高の名演』というタイトルで探すと、『チャタヌガ・チュー・チュー』から『B中隊のブギウギラッパ兵』へのメドレーが楽しめます。
こんなバカ歌が史上初のゴールドディスクになってしまった1941年夏に発売されたこの曲のシングル盤は、翌42年の2月には売上100万枚を突破します。そのあまりにも速い売れ行きに感激したレコード会社が、記念に金箔を貼り付けたレコードをグレン・ミラーに贈ったのが、ゴールドディスクによって100万枚突破を記念する制度の始まりでした。
「もっと売上枚数の多いヒット曲は、それ以前にもいくらでもあったろう」とおっしゃる方も多いでしょう。
ですが、おそらく100万枚を売り上げるのに何年かかかっていて、記録として意識する人もほとんどいなくなってからやっと突破する程度だったのではないでしょうか。
とにかく、レコードをかけるにはかなり重くて大きな蓄音機が必要だった時代に、約半年で100万枚を売り上げるというのは、とてつもないスピードだったからこそ、話題性もあったのでしょう。
鍵となったのは、明るい曲調、軽快なテンポに乗せて語る歌詞の醸し出す、ほのぼのとしたおとぎ話的な郷愁だと思います。
何事につけきびしい大都会ニューヨークで勝負してきた青年が、さて身を固めようかと思ったとき、ふるさとの幼馴染に「もう二度とどこにも行かないよ」というかたちでプロポーズする……。
いやまあ、そんなにうまいこと行くものかとは思うけれども、そんなことが実際にあったらいいなとほほえましく感じられるお話だということです。
もちろん、惨憺たる時代だった1930年代大不況の爪痕も、それとなく織りこんでいます。
駅を仕事場とする靴磨きの少年が、これから列車に乗りこもうとする見込み客に「乗車賃はお持ちで?」と聞くとか。まさかそんなことはないでしょうが。
そしてアメリカ人ならふつうは朝飯にするハムエッグスが、最上のディナーだとか。それもこれも、背景となる時代の象徴だけであって、深く考えこんでしまうための材料ではない。それがむしろ、ポピュラーソングの良さなのではないでしょうか。