生活水準は世代間の協働で支える

なぜなら、消費を維持して個人の「生活水準」を安定させるには、それを可能とする所得、資本からすれば労働者への還元が一定以上保証されることがまずは必要になるからである。さらに社会全体の生活水準を維持するには、上下水道、医療、教育、道路、交通などの社会的共通資本を継続的に建設維持管理補修していく生産力も前提になる。これは個人の「生活水準」を支え、同時に社会の「生産水準」や「生活水準」も左右する。

人口も社会システムも社会意識も時空間に応じてそれぞれの個性を持つから、現代日本の行く末を「脱工業社会」とみるか「ポストグローバル資本主義」とみるかはさておき、「少子化する高齢社会」という未曽有の時代においては、人口減少という「法則」を意識したあらゆる社会的対応がこそが肝要になる。

実行可能な未来予想図がない

最近の研究ではたとえば、「資本主義は『まもなく死を迎える』という予言をこれまで覆しながら生き延びてきた」(シュトレーク、2016=2017:10)というまとめになっている。それ以外にも、「現在の資本主義はたんに代案がないだけでなく、進歩への見通しもない」(同上:42)。「資本主義は終わりを迎えているのか?問題は、私たちがその解体を眼前にしながら、その後継者の到来を目にしていないことである」(同上:52)。「現状では実行可能な未来予想図もなければ、現在の資本主義社会と置き換わるような新しい産業社会やポスト産業社会の見取り図も存在しない」(同上:53)。

これらの指摘を参考にして、次の社会の「見取り図」の素描するための用意だけは始めておきたい。現今のグローバル資本主義の先に想定した次の資本主義社会を、私は「社会資本主義」と命名する。