生産と消費が落ちてくる
資本主義は資本の持続的膨張を究極の目的として生産力を増大させる。そのためには生産物を消費できる人口数は多いほど都合がよい。消費が進まなければ、いくら生産しても在庫率が高くなる。それでは今日の資本主義は前進しない。
また、生産力の増大の雇用条件には企業によって優劣があるが、働ける労働者の雇用を増し、その家庭全体の購買力を高めることこそが資本主義の継続性を保証する。ただしそれには正規雇用労働者の比率ができるだけ多い方が望ましい。
その意味で、現在の若者の非正規雇用率が40%に届いたことは、長期的には資本主義の土台を確実に弱めてしまう。なぜなら、非正規雇用の若者たちは自分を守るために、自己中心のライフスタイルを実践する中で、10年後20年後の展望ができないことを理由として未婚を選択することが多いからである。特に日本では、未婚は出生率の低下に直結し、次世代次々世代が確実に減少することを意味する。
老後は「おひとりさま」でも苦しくなる
そのような動向が鮮明になった現在、数多くの社会保障制度の持続を前提にした上野の二部作すなわち『おひとりさまの老後』(2007)や『男おひとりさま道』(2009)はどうなるのか。
一般論として、このような老後のライフスタイルとしての「おひとりさま」は、長期的には単年度出生数が死亡者よりも多い「人口増加」時代を前提としてしか成立しない。上野の作品のうち前者は出生数109.0万人で死亡者が110.8万人の2007年に刊行され、後者は出生数107.1万人で死亡者が114.2万人の2009年に出されている(国立社会保障・人口問題研究所、2012:41)。いわば人口増減が拮抗している幸せな時代であり、現世代と次世代・次々世代との間の支えあいが均衡していた。
そこでは「高齢のおひとりさま」を支えるすべての介護施設、医療機関、医師、看護師、介護担当者、ケアマネージャー、かかりつけ医、訪問看護師、薬剤師などが次世代・次々世代から途切れることなく供給され、縦横無尽に使われることが暗黙の前提になっていた。
しかし、出生数109万人の時代ではなく、出生数が81万人まで低下し、総人口減少が年間61万人を超え、その漸減がますます予想される時代では、そのような「高齢のおひとりさま」も苦労するはずである注10)。