戦略か資源か

もちろんコミュニティづくりは地域政策の目標でもあるから、「戦略としての現実性」は絶えずあり、3年後や5年後、さらには10年後の地域社会像をコミュニティ論で描き出そうとする使い方も多い。実際には動員できる資源(R)には限りがあるので、かつての自治省が実施してきた「モデルコミュニティづくり」に典型的な、可視性に富む「箱もの」づくりに収斂しやすい。

なぜなら為政者には、目に見える施設の方が、選挙その他で自らの成果としてもアピールしやすいからである。

歴史性か将来性か

「歴史性を帯びる概念」としては「共同体」があり、日本内外を問わず多くは封建制との関連で批判的に議論される。そこでは「共同体」が地域社会の中で個人を抑圧してきたことが強調され、したがって今日それは解体の対象となる。

対照的に「将来性に富む概念」としてのコミュニティは、ドラッカー、中谷、斎藤ら経済学関係者が期せずして使用した将来社会設計の一部に位置づけられるものであり、解体よりもむしろ希望の星として追い求める対象の意味合いが強い。

「ソーシャルキャピタル」か「アイデンティティ意識」か

「ソーシャルキャピタル」か「アイデンティティ意識」かでは、前者では信頼のおける親しい社会関係や集団所属を指す。また後者では、地域社会意識のうち、たとえば既述したコミュニティモラールの構成要素である参加意欲(commitment)、愛着意識(attachment)、結束意識(integration)などがあり、それぞれに設問が用意され、具体的な指標を通して地域社会で測定されてきた(鈴木、前掲書)。

すなわち、ソーシャルキャピタルが社会関係面をカバーして、アイデンティティ意識が地域社会意識を包括する。後者の一部として、批判的意味合いの伝統的な「ムラ意識」や「信仰と祭」なども使われることもある。