郵便局の見えにくい社会貢献

小泉内閣の「郵政民営化路線」反対の一環として、「郵便局の見えにくい社会貢献」を論じたことがある注1)。その後も、民営化直前まで北海道警と北海道郵政公社が共同で行っていた「P&Pセーフティネット」の成果を利用して、地域社会における郵政業務がもつ安心・安全機能を紹介した注2)。

同時に、高齢者の在宅見守り機能や各種のホームサービスメニューを取り上げて、コミュニケーションの地域拠点として、郵便局は相互扶助と相互鼓舞に役立つコミュニティの核になりうるとまとめた(金子、2011a:150-154)。

それから10年が経過して、コロナ禍の中で刊行されたJP総合研究所郵政民営化検証委員会編(2021)や『JP総研Research』(Vol.54 2021年6月)などを参照すると、同じような論点が続いてきたことが分かる。とりわけ「民営化の功罪」を整理した一覧表は、問題意識を共有する私にとっても極めて有効であった(JP総合研究所郵政民営化検証委員会編、2021:82)。

(前回:政治家の基礎力(情熱・見識・責任感)⑪:資本主義のバージョンアップ)

郵便局をめぐる「民営化のマイナス影響」

私はコミュニティ論からの地方創生への関心が強いので、郵便局をめぐり「民営化のマイナス影響」として要約された4点、すなわち①社会への貢献は強まらなかった、②地方再生との有機的連帯がない、③少子高齢化への具体的貢献なし(過疎化阻止の効果ない)、④地縁・血縁等見えない地域連携を中央感覚で排除・破壊したなどを見ると、日本でコミュニティを研究してきた社会学者の一人として忸怩たる思いが強い。

確かにたとえばフランスでは、今日でもコミュニティ活動は胡散くさい目で見られているという。19世紀後半のヴィクトリア朝のイギリスでは、コミュニティが貧困、犯罪、売春、住居の問題に取り組んでいた。ところが、20世紀の福祉国家がそれらのコミュニティをすべて壊した(ドラッカー,2002=2002:212)。そうであれば、福祉国家かコミュニティかは二者択一の選択肢でしかないが、それではコミュニティのもつ豊かな意味が矮小化されてしまう。