家族は社会の人的素材を生産し社会化する制度
「こども家庭庁」の立脚点は、「家族は基本的に、社会の人的素材を生産し社会化する制度であり集団」(鈴木監修、2001:ⅱ)という認識に求めたい。これはウェルベック『服従』にふれたシュトレークが抜き出した「社会化を伴わない個人主義が広まることで解体していく個人と集団のさまざまな在り方」(シュトレーク、2016=2017:27)への対処の基本にもなる。
「社会化を伴わない個人主義の広まり」こそが、社会全体での協力文化すなわち共助や互助の文化(altruism)を弱め、「自己中心主義」(egoism)を浸透させた大きな原因である。
通常、家族が持つ機能は「性と生殖」、「こどもの社会化と教育」、「生産・消費の共同」、「老幼病弱の保護」、「宗教の単位」、「娯楽休養」、「社会的権利と義務の主体」に分けられる(金子、1995:65)。このうち個人主義化によって、「老幼病弱の保護」、「宗教の単位」、「娯楽休養」の機能はほぼ外注化され、小家族化とともに家族機能自体が衰えてきた。
しかし、「性と生殖」、「こどもの社会化と教育」、「生産・消費の共同」、「社会的権利と義務の主体」はまだ残っているから、「こども家庭庁」としてはこれらの機能維持に目配りしてほしい注4)。
そのためには、政府が過去30年にわたり継続してきた結婚支援、妊娠出産支援、保育サービスの充実、地域の子育て支援、経済的支援、両立支援策の充実、意識改革、若者の就労支援、家庭支援(増田、2022:7)などは、未来社会設計の観点から「次世代育成」との接点を明らかにしながら積極的に実施したい。
国家先導資本主義
さて、かつて私は日本における「少子化する高齢社会」の外枠としての現代資本主義を「国家先導資本主義」(金子、2013:55-60)としたが、その特徴は2つの二項対立軸で表現できる。
一つはイノベーションを内包する「構築性」(construction)とその反対の「破壊性」(destruction)である。日本でいえば明治中期以降130年間にわたり、この双方を日本資本主義が弁証法的に使いこなして、生産力水準をあげてきた。具体的には資本主義の社会システムではモノやサービスを単に「製造販売」するだけではなく、倒産に象徴されるような「破壊」もまた内在させてきた。
もう一つは、大企業同士あるいはその下請けや孫請けに典型な企業間の「共生」(symbiosis)がある。これは複数の主体間での相互依存を前提として特定の目標を達成し、それぞれに利益が得られることである。その対極には、共生というよりも、一方的な支援、資金援助、人的支援を受ける「従順」(obedience)がある。
これらを組み合わせると、図1になる。すなわち、「構築と共生」の組み合わせもあれば、対偶の「破壊と従順」の組み合わせもある。新規事業を始める際に、関連企業との協同性を確保して、効率的な事業遂行をすることは「A」に該当する。ただし、事業がうまくいかず「共倒れ」としての「B」もありえる。
その一方では、官庁の規制を掻い潜って、うまく各種補助金を受けて「従順」な企業活動としての「D」も珍しくない。日本のバブル時期では、金融業界と一部企業と行政との関係で「破壊と従順」があり、時には「破壊と寄生」すら見られた。
「少子化が進む高齢社会」でも資本主義の宿命として、この2種類の軸の組み合わせは連綿と続くであろう。