5. 「合成の誤謬」への無自覚
それぞれの食材を別々に摂取する際は無害であっても、「食い合わせ」のように鰻と梅干、てんぷらとスイカなどの組合せは相性が悪く、中毒や不消化をひき起こす。同様に、社会現象でも政策でも個別的にはうまくいくとしても、全体としてはうまくいかないことがある。個人の貯蓄がいくら大事でも、全員がそれに励めば、社会全体では消費が落ち込み、企業の業績が衰退して個人生活を直撃して、貯蓄自体ができなくなる。
「再エネ」でも環境アセスメントはなされるが、それは申請する企業ごとのプランの審査であった。たとえば現在北海道石狩湾で計画されている洋上風力発電施設は、陸上風力発電とは規模が全く違う。何しろグリーンパワーの14基、コスモエコパワーの125基、シーアイ北海道の200基、それに丸紅の105基などがアセスメント中なのである。
これでは石狩湾岸沖合10kmから水深50m以浅の海域面積でタテの長さ約20km、ヨコの長さが約15kmの台形型315km2の海底は、魚介類、海藻、海底生物、微生物全部がかなり影響を受ける「環境破壊」の典型プランになりはしないか。このような洋上風力の逆機能予想もできるのに、社会的合意として現今様式の環境アセスメントは万全な備えになっているか(金子、2022)。
いわゆる逆機能問題への「可視化」は知事にも石狩市長にも皆無のようである。(C)の後半に登場した石狩市長は、「石狩湾新港地域を拠点に、再生エネルギーを活かしながら地域振興を図っていきたい」(:20)とのべたが、海域、海底、海岸の破壊が予想されることへのコメントはなかった。



潜在的逆機能問題としての「環境破壊」
仮に各社単独の洋上風力発電アセスメントには合格しても、結果として10社を超える合計が400基にも達するような洋上風力発電では、石狩湾315km2の海底や海域や海岸はかなりな痛手を受けることが予見される(金子、2022b)。
その結果は、「複数の事業者が一般海域での洋上風力発電計画の新設を目指しており、石狩湾新港地域における再生可能エネルギーの供給体制は、ますます充実していく」(:16)だけではない。これは「顕在的正機能」だけに限定した見通しだが、潜在的逆機能としての「環境破壊」への配慮も必要であろう。
そしてこの視点は、日本も含めた世界的な「再エネ」装置への危惧にも連動する。そこからは、ハーヴェイが力説した「(資本は)自然界(……)の純粋な美しさと無限の多様性とを破壊しながら、それ自体の徹底的な不毛さをさらけ出す」(ハーヴェイ、前掲書:343)を想起させる。
環境開発に関する社会的合意には「合成の誤謬」への配慮が不可欠であるにもかかわらず、環境省も経済産業省もそれぞれの会社だけの個別アセスメントしか念頭になく、「合成の誤謬」には気が付かないふりをしているように思われる。
「生態学的均衡を巨大産業が侵害する。再生不可能な自然資源が乏しくなる」(ハーバーマス、1981=1987:415)とみれば、2030年や2050年を目標に「脱炭素」を謳い、気候変動への人為的な関与をめざして二酸化炭素地球温暖化の危機を強調して、「脱炭素社会」形成を高唱する日本政府や北海道の環境政策には、多方面からの疑問が湧いてくる。
「資本は自然を、単に対象化された商品と見なす」(ハーヴェイ、前掲書:332)という根本的な視座への正対と一定の解答もまた、「脱炭素社会」論では求められる。
(前編:北海道「脱炭素社会形成」のアポリア(前編):北海道のエネルギー事情)
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注7)風力発電の設備利用率を25%とすれば、わずか5000個の電球に過ぎない(金子、2021-2022その5)。
注8)私の用語では「知産地活」となる。
注9)なお、FITとは、‘Feed-in-tariff’の頭文字を取った言葉で、日本語では固定価格買取制度を表わす。この制度は、太陽光や風力発電などの「再エネ」からつくられた電気を、国で定めた価格で買い取るように電力会社に義務づけるための制度である。ドイツ(1991年)やスペイン(1992年)では導入されており、日本では2012年に制定され、2017年4月より改定され、買取価格は変えられながら今日に至っている。
文・金子 勇/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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