合理性が判断基準
「あらゆる生態学的で環境的なプロジェクトは社会経済的プロジェクトでもある。……それゆえ万事は、社会経済的で環境的なプロジェクトの目的にかかっている」(ハーヴェイ、2014=2017:328)。「再エネ」主導の環境プロジェクトもこれに該当するが、私には(前編)で紹介した道庁主導の「プロジェクトの目的」に偏りがあり、バランスを欠いているように思われる。
かつて、資本主義を生み出しそれを促進する要因をウェーバーは以下のように表現した。「合理的なる持続的企業・合理的簿記、合理的技術・合理的法律」と「合理的精神・生活態度の合理化・合理的なる経済倫理」である(ウェーバー、1924=1955下:237)。この総合的「合理性」は北海道の「脱炭素社会」論でも有益だが、どのように活かせばいいのか。
(後編)では、この環境プロジェクトにおけるバランス感覚を取り戻すために、新しい資本主義でも核となるはずの「合理性」を軸に、「再エネ」プロジェクトの目的を「特集」の(A)から(D)を素材として、その限界と課題を考えてみたい。
A. 北海道知事鈴木直道氏への小磯修二氏によるインタビュー記録「ゼロカーボン北海道」への挑戦 B. データから考える北海道の脱炭素社会づくり C. 再生可能エネルギーの地産地活でゼロカーボンシティへ D. 持続可能なまちづくりと地産地消エネルギー
1. 「再エネ」装置の建設と維持には膨大な二酸化炭素が排出される
(前編)の(A)において鈴木知事は、「北海道には再生エネルギー源が豊富にあり、……エネルギーの地産地消で、……再エネの開発・導入の取り組みを促進する」(マルシェノルド:7。以下、マルシェノルドからの引用は頁のみ)とのべられた。そのうえで、知事は「洋上風力発電は、設備の設置や維持管理など関連産業の裾野が広く、導入による地域の経済や雇用への波及効果が期待されます」(:8)と続ける。しかしそこでは(写真1)の解説にあるような、「再エネ」機器の原材料精製や建設時における二酸化炭素の莫大な発生への考慮が皆無である。

「再エネ」機器たとえば風力発電機の場合の合理的精神ないしは合理的経済倫理とは、建設時に260トンの鉄鋼が投入され、その製造にも170トンのコークス炭と300トンの鉄鉱石を要することへの視点を併せ持つことに尽きる。
「設置」や「維持管理」で関連産業の裾野が広がり、その分では経済効果が期待できるというロジックに加えて、たった2メガワット(MW)=2000kWの風力発電所を建設する際の鉄鉱石精製やコンクリート製造における莫大な炭素発生量への想像力がなければ、依然として「再エネ」論はアポリアのままになる。しかもこの程度の風力発電と100万kWhの火発や原発との「機能的等価性」はまったくありえない(金子、2021-2022)。
なぜなら、2MW(2000kW)の電力は100W電球を2万個点灯する程度の発電しかないからである注7)。日本全国各地での「イルミネーション」は数えきれないほどであるが、たとえば日本最大規模のハウステンボスだけでも1300万球が使われる。とても風力発電で対応することは不可能である。もちろんサッポロホワイトイルミネーションの73万個でもかなり困難である(イルミネ―ション個数は各ホームページより)。
しかしこの2MWの風力発電機でも、それを建造する鋼鉄とコンクリートの塊を、原材料から製品に製造する過程の「二酸化炭素の排出」は膨大なので、それを「脱炭素」政策と無縁なままにしていいはずがない。この製造過程を「可視化」しないかぎり、「再エネ」装置は二酸化炭素を排出せず「自然に優しい」という根拠にもならないし、それを基盤にした「ゼロカーボン北海道」の価値が高まることもあり得ない。