「社会指標」論が活かされなかった「社会的な土台」分野
具体的には、中心部に置かれた「社会的な土台」の「不足」が強調される。そこでは順不同で、「食糧」「健康」「教育」「所得と仕事」「平和と正義」「政治的発言力」「社会的平等」「男女の平等」「住居」「ネットワーク」「エネルギー」「水と衛生」が配置された。しかしこの12分野には、「付録」としてわずか20の指標が掲載されただけである(:420)。
ここからすぐに思い起こされるのは、1970年代から80年代にかけて世界的に沸き上がった「社会指標運動」(social indicators movement)である。その運動は、社会システム論や「生活の質」(QOL)研究という理論的背景を持っていたが、この「ドーナツ」の「土台」は単純に12分野が置かれた印象が強い。
さらにたとえば日本の国民生活審議会生活の質委員会が作成した『新版 社会指標』(1979)では、健康、教育・学習文化、雇用と勤労の質、余暇、所得・消費、物的環境、犯罪と法の執行、家族、コミュニティの生活の質、階層と社会移動の10分野それぞれに、実物指標により単位を揃えられた統計データとしての「客観指標」があり、さらにその状態を国民ないしは自治体住民が評価した「主観指標」をセットで含んでいた注32)。
もちろん各分野を構成する実物指標はたとえば「教育」分野でいえば、就学前教育、義務教育、高等教育、大学院教育、教育費、学級編成、学習時間、自宅外通学、大学への進学率などの数値化された「客観指標」が提示され、多くは時系列の推移が分かるように工夫されていた。一方「主観指標」には調査票により国民が回答した「教育・青少年への要望」があり、別に「行動指標」としても「社会教育活動への参加度」までが、単純集計や相関係数などを使って現状の評価やニーズとしても併置された。
そのためラワースのわずか12分野20指標などではなく、内外の政府や自治体独自で作成された『社会指標』で実際に使われた個別実物指標の合計は、100~150指標程度に増えることになった。理論的な研究面でも、主観指標としての「生活の質」(QOL)指標では、心理的満足感、充足感、客観指標で示された状態の認知度、社会的統合の基盤となる人間関係の現状、幸福感などが精緻に分析された(図1)。

失速した社会指標運動
世界的な運動として社会指標の作成は一時代を画したが、いくつかの理論的限界が明らかになり、90年代に入るとその勢いは急速に衰えていった。
この退潮の最大の理由は、個別指標に量化できる等級的変数(パラメーター)と量化できない名目的変数(パラメーター)とが混在しており、それらを合成しても有効な議論の素材になり得なかったことがあげられる。代表的経済指標であるGDPでは複数の重要な個別指標が貨幣で表され、一元的に量化されていたので合成が可能であったが、性質の異なる指標を不可避的に含む社会指標ではそれが困難であった。
無理に合成しても「合成の誤謬」問題が発生するだけであった。俗にいう「将棋4段」と 「柔道5段」を足し算しても、それを「9段」とすることは無意味だからである。さらに客観指標と主観指標間でも尺度不一致が顕在化して、「生活の質」に関する実質的な判断基準としては使えなかった。
このような限界を承知の上で、今日的にはたとえば医学の現場では、入院患者の「病室」における「生活の質」(QOL)指標に特化された研究などが続けられてきた。また、行政でも統計集に徹して、総務省統計局が『社会生活統計指標』、『統計でみる都道府県のすがた』、『統計でみる市区町村のすがた』を毎年刊行し続けてきた。