“荷物の出し入れ”も同じです。細胞は、膜で包んだ小さな荷物(小胞)を出し入れしながら、受け皿の数を調整したり、情報の受け渡しをしています。植物の根や葉では、麻酔下でこの小胞の回収(エンドサイトーシス)が目に見えて鈍り、ハエトリグサの行動停止と並走して起こることが確かめられました。動物の神経でも、麻酔がシナプスでの小胞リサイクル(使った受け皿の回収)を乱し、結果として“会話の続け方”を失わせる、という観察が報告されています。舞台(膜)が緩むと舞台装置(小胞の出し入れ)ももたつき、上演(全身の応答)が止まる、というわけです。

さらに“合図の結果として起動するプログラム”にも共通項があります。ハエトリグサでは、触刺激や傷が引き金になる防御・消化プログラム(ジャスモン酸経路)が、麻酔中はオンになりません。動物の麻酔で私たちが眠りに落ち、知覚や注意のプログラムがオフになるのと響き合う現象です。分子の詳細は違っても、「合図が流れにくくなる」「受け渡しが鈍る」「下流の大仕事が始まらない」という三段重ねの止め方は、 kingdoms(界)をまたいでよく似ています。

もちろん、だからといって「植物が痛みを感じる=動物と同じ意識がある」とは言えません。植物には中枢神経も脳もなく、“感じ方”は根本的に異なります。研究者が強調しているのは、麻酔が止めているのは「痛み」ではなく、すべての細胞が持つ共通の情報インフラ——膜、イオンチャネル、小胞、そして電気・カルシウムの波だという点です。麻酔が原生生物から植物、動物にまで効くという事実自体が、その共通インフラの存在を物語っています。

最近は、動物で知られた仕組み(チャネルの内側ポケットに麻酔分子がはまり込む、あるいはチャネルを調整する“脂質”の座を横取りする)と、植物で観察される現象(電気・カルシウム波の途絶、小胞の滞り)が、一本の線でつながる絵も描けつつあります。たとえば“局所麻酔薬”の代表であるリドカインは、植物でもシグナルの乱れを引き起こし、電気—カルシウム系の脆さを示す材料になっています。まだ「どの分子をどこで止めているか」の決着はついていませんが、少なくとも“止まっている場所”は動植物で不思議なほど重なります。