かのユリウス・カエサルも「すべての妻の夫であり、すべての夫の妻である」と言われたくらい、女性ばかりでなく男性との間でもいろいろロマンスを発展させた人でした。

どちらが旧勢力でどちらが新興勢力かは逆ですが、性的ダイバーシティと女性の選択の自由を尊重する人たちと、すべての妊娠は神からの授かりものだからどんな場合であれ中絶は絶対にいけないという人たちの角逐は、西ローマ帝国崩壊期に似ています。

でも最大の共通点は移民に対する態度の激変でしょう。興隆期のローマが小さな都市国家から地中海沿岸をほぼ完全制覇するまでに成長したのは、ローマ以外で生まれ育った人たちがローマの市民権を取ることについて、非常に寛容だったことが大きいと思います。

しかし、4~5世紀ごろになると、市民たちの中でも国家支給の食べもの以外は食べることもできず、奴隷より生活水準が低い人たちを中心に、これ以上市民権取得者(移民)が増えると、自分たちの取り分がさらに減ることを恐れて、市民権取得の敷居を高くしろという運動が起きました。

新しく市民権を取ろうとする人たちのほうがずっと勤労意欲は高いでしょうし、ローマの城壁内にいつまでも市民権を取れない身分の不安定な外国人が存在しているほうが危険です。市民権取得者の増加で、むしろ養ってくれる人手が増えるはずなのに、ずいぶん不利な方向を望んだものです。

現代アメリカのトランプ政権も、第一次世界大戦中から1930年代までを除けば、ほぼ一貫してアメリカ経済の成長の源泉のひとつであった移民を極端に制限し、非合法移民ばかりか合法的にアメリカに来て市民権を得た人まで、気に入らない人間は強制送還するという暴挙に出ています。

これはもう、1920年代に三次にわたって制定した移民制限法によって、民間住宅建築が激減し、ふつうの景気後退で済んでいたかもしれない1929年大恐慌(一時的な株の投げ売り)後のアメリカ経済を大不況に追いやってしまった教訓をまったく学んでいないと思います。