各メディアは「荒れ野の40年」と題された1985年の演説の良く知られた一節、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」を取り上げて報じた。この機会に演説全文を読んでみて、以前から感じていたその論理構成への違和感を再認識したので、思うところを書く。

人口に膾炙し、隣の国の大統領の十八番でもあるこの一節が「言わずもがな」だなあと感じていたことは措いて、私が気になるのは、「民族全体に罪がある、もしくは無実である、と言う様なことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります」と言う一節だ。

またヴァイツゼッカーはこの演説で、まるで他人事の様に、主語を省いた受動態表現を多用する。「強制収容所で命を奪われた 600万のユダヤ人」とか「虐殺されたジィンティ・ロマ」と言った具合に。「ドイツが命を奪った」とか「ドイツが虐殺した」と言う様な能動的表現は決して用いない。

「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と、述べた村山談話のその見事なまで能動態とは対照的だ。その当否と、戦後その恩恵で独立を果たした、中国・韓国以外の東南アジア諸国まで十把一絡げしている不適切さは、ここでは措く。

ヴ演説は次の様にも言う。「暴力支配が始まるにあたって、ユダヤ系同胞に対するヒトラーの底知れぬ憎悪がありました。ヒトラーは公の場でもこれを隠しだてしたことはなく、全ドイツ民族をその憎悪の道具としました。(中略)ユダヤ人を人種として悉く抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。この犯罪に手を下したのは少数でした。公の目には触れないようになっていました。」

この後に冒頭の一節が続く訳だが、そこにある種の「割り切り」を私は感じる。割り切ってしまえば、過去に目を閉ざさないことは難しいことではない。だが、日本人にはこの「割り切り」が出来ない。多くの日本人が未だに中国・韓国に責められながらも口をつぐむ理由はここにある。東京裁判史観に縛られ続けているのだと思う。戦勝国の意図とは違う形で、だが。