ここで、より根源的な問題に踏み込む必要がある。
釧路湿原メガソーラーが認可された背景には、単なる行政や政治家の判断ミスではなく、再エネ政策や関連法制度そのものに本質的な欠陥(瑕疵)があったのではないかという疑問だ。
再エネ特措法や自治体の条例は、再エネ推進を最優先に設計された。そのため、環境影響や立地選定の妥当性よりも「導入量の目標達成」が優先され、結果として湿原や山林といった本来守るべき地域にまでメガソーラー建設が許されてしまった。
法的な意味での「瑕疵担保責任」を制度に直接適用することは困難だが、政策設計の誤りとしての「瑕疵」を追及することは可能であろう。
とくに釧路のように認可から10年以内の案件では、環境影響評価の不備や立地適正の欠落を根拠に、住民監査請求や行政訴訟で問題提起する余地があると思われる。
要するに、事業者個別の問題にとどまらず、再エネ政策の仕組み全体が「環境を守る」という本来の目的と乖離していたのだ。この制度的瑕疵にこそ、国政・地方政治の説明責任が問われるべきだろう。
得られる効果の限界とリスクの非対称性
北海道全体のCO₂排出量は年間2億トン規模。その中で、このメガソーラーが削減できるのは0.05%に過ぎない。一方で、湿原破壊に伴う炭素放出リスクは「削減効果の何倍にもなる」可能性がある。
効果は小さく、リスクは巨大。この「非対称性」こそ、釧路湿原メガソーラー計画を再考すべき最大の理由である。
立ち止まって考える時
工事はすでに始まっている。「今さら止められない」という声もあるだろう。しかし本当にそうだろうか。自然は一度壊せば取り戻せない。短期的な経済的利益のために、世界的に価値のある自然を失うことは、後世に大きな禍根を残す。
再エネ導入は必要かもしれないが、その場所と方法を誤ってはならない。釧路湿原という世界的資産のすぐ隣に大規模ソーラー発電所を建てることが、日本にとって、また国際社会に対して正しい選択なのか。