そう考えると、ハイテクバブル崩壊前後の1997~2002年の6年間と、世界的には国際金融危機が解決してほぼ平穏な日常が戻ってきたと見られていた2014~20年の7年間こそ、ネタニヤフでさえ「今、アメリカを対イラン戦争に引きずり込んではまずい」と自重するほど、アメリカが深刻な危機に直面していた時期だったのではないでしょうか。
しかし、それ以外ではまるで放射性物質の半減期をなぞるように毎年少しずつ切迫感を高めるような時期設定をして「イラン核兵器保有の危機」を煽りつづけてきました。
そして、ついに今年「あと数日か数週間」というところまで危機感を高めてから、6月13日のイラン空爆に踏み切ったわけです。
イスラエルが抜き打ちで戦端を切ってからの半日は、爆撃機、ミサイル、イラン国内に設定した仮設兵器工場で製造した地上爆弾などを駆使して、イラン革命防衛隊本部ビルを跡形もなく消滅させるなど、重要な軍事施設や防空網管制施設を狙い撃ちで破壊しました。
しかし、このままではイスラエルの一方的な勝利に終わるかとも見えたイラン・イスラエル「12日間」戦争の最初の半日のうちに、じつはイスラエルにとっては期待外れの事態が起きていたのです。
それは、イスラエル軍がこのイラン侵攻を「立ち上がるライオン」作戦と名付けていたことからも推測することができます。ライオンは、1979年にホメイニ師を最高指導者とするイスラム革命が成功するまでイランを支配していたシャー・パーレビ政権の象徴です。
パーレビ独裁時代のイラン国旗には、太陽を背にして前足で剣を握ったライオンが描かれていました。つまりイスラエルは、自国軍がイランに攻めこめば、イスラム神政に不満を抱いていたイラン国民が立ち上がって、政権転覆への運動が盛り上がると思いこんでいたのです。
この期待は完全な空振りに終わりました。むしろ、イスラム神政には批判的だったイラン国民でさえも、イスラエルによる突然の空爆に対しては一致団結して抵抗することを選んだのです。