たとえば同じ売上データでも、「前年比より上がっていれば順調」と考える人もいれば、「伸び率が鈍化しているなら危険信号」と捉える人もいます。
これは、評価の基準が個人の経験や期待値に依存しており、データの読み取り方が曖昧なまま進んでいる状態です。
データそのものは客観的でも、その解釈が個人の主観や経験則に委ねられていては意味がありません。
だからこそ、データを見て判断する際には、その前提条件、比較対象、そして何よりも評価基準となる明確な『ルール』を事前に設定し、組織内で共有された共通の軸で検証することが不可欠です。
この『ルール』の欠如こそが、主観的な解釈を生む最大の原因です。
データを真に活かすためには、感情や印象を排し、客観的な視点で検証するトレーニングが不可欠です。
確率のワナで失敗を恐れる文化に数値を重視するあまり、「確率」の扱い方を誤ると、組織に失敗を避ける空気が蔓延してしまうことがあります。
たとえば「成功確率が低いからやらない」といった判断が常態化すると、新しい挑戦や改善の芽が摘まれてしまいます。
確率はあくまで現状の傾向を示す指標であり、未来を決定づけるものではありません。
本来、確率が低い分野こそ、変数の工夫や行動量の増加によって成果を伸ばす余地があります。
それにもかかわらず、確率に縛られすぎると、失敗を恐れて安全策ばかり選ぶ「停滞する組織」になりかねません。
識学では、失敗は感情的に責める対象ではなく、あくまで客観的な『事実』として捉え、その原因を分析し、次にどうすれば目標を達成できるか(例えば『ルール』の改善や行動の変容など)を考えるための貴重な学習機会と考えます。
確率が低いという『事実』は、挑戦をあきらめる理由ではなく、むしろその確率を向上させるために何ができるのか、どの『変数』に働きかけるべきかを戦略的に思考するための出発点です。
数値は合理的な意思決定の材料であり、挑戦する行動を萎縮させるための口実であってはなりません。