オシュコシュの暗黒の日(1886年)

 1886年3月19日の午後3時頃、アメリカ・ウィスコンシン州オシュコシュの街が、突如として暗闇に包まれた。地元の新聞は「5分も経たないうちに太陽は覆い隠され、屋内は夜のように暗くなった」と報じている。

 目撃者によれば、西からやってきた「濃密な黒い雲か霧」が原因だったという。地上では感じられないほどの高高度をサイクロン性の風が吹いた結果ではないかと考えられたが、この奇妙な天気の明確な原因は未だに確認されていない。

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(画像=イメージ画像 Created with AI image generation (OpenAI))

ブラック・サンデー(1935年)

 1930年代のアメリカ中西部、グレートプレーンズの住民は「ダストボウル」と呼ばれる砂嵐に慣れていた。しかし、1935年4月14日の嵐は、桁違いに深刻だった。後に「ブラック・サンデー」と呼ばれるこの嵐は、高さ3000メートル以上、時速160キロで移動する、30万トンの黒い砂塵の壁だった。

 フォーク歌手ウディ・ガスリーは、テキサスでこの黒いブリザードに遭遇し、「目の前の自分の手も見えず、部屋の誰の顔も見えなくなった」と回想している。彼はこの恐ろしい嵐について歌を作り、「黒いカーテンが街に下ろされたようだった/我々は審判の日だと思った、我々の運命だと思った」と歌った。あまりの恐怖に、赤ん坊を来たるべき恐怖から救うために殺そうと考えた女性もいたという。この嵐は、その後の土壌保全法の制定へと繋がった。

シベリアの暗黒(1938年)

 1938年9月18日、シベリアのヤマロ・ネネツ地方の住民は、後に「シベリアの暗黒」として知られることになる不可解な現象を経験した。その朝、雲は黄色がかった茶色から、次第に赤褐色へと変化。午前10時半には、空は完全に黒い雲に覆われ、すべての光が遮断された。

 さらに奇妙なことに、その地域は完全な「ラジオ・サイレンス」に陥り、一切の電波が通じなくなった。気象学者が空に照明弾を打ち上げたが、それはただ濃い雲の中に消えていったという。約1時間後、静寂と暗闇は徐々に晴れていったが、原因は今日まで不明である。

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