近年の大戦略の研究を包括的にレヴューした書評論文では、確かに戦略研究はその蓄積がなされているものの、この分野の問題として、適切な定義や使うべき方法論がばらばらであり、また、その目的が説明的なのか規範的なのか未分化であるため、研究プログラムとなっていない根本的問題を抱えていることが、アメリカの海軍大学の研究者たちから指摘されています(Thierry Balzacq, Peter Dombrowski, and Simon Reich, “Is Grand Strategy a Research Program?” Security Studies, Vol. 28, No. 1, October 2019, pp. 58-86)。
クラウゼヴィッツが偉大な戦略家であったことには、誰も異論はないでしょう。ただ、「個人崇拝」は科学の世界では慎むべきです。もちろん、グレイ氏は、クラウゼヴィッツを「完全無欠な戦略理論家」とみなしているわけではありません。かれが展開する『戦争論』の「限界や弱点についての議論は、クラウゼヴィッツを弁護するためのものではない」(前掲書、157ページ)ということです。
戦略の科学に向かって
グレイ氏は戦略理論を総合的なものにしようとするあまり、上述したように、それが万能理論すなわち理論のいずれかの予測がすべての結果に一致してしまうものになりがちであり、時には、トートロジーに陥っています。
たとえば、「不確実性」そのものは、論理的に、反証可能な仮説を生み出しません。なぜならば、将来の出来事には必ず不確実性が伴うからです。さらに、多かれ少なかれ、戦勝は「偶然」の結果、敗戦も「偶然」の結果であれば、これは明らかにトートロジーです。どれだけ優れた理論や研究成果でも、反証可能性がなければ、それは「ドグマ」です。
実証科学の観点からすれば、クラウゼヴィッツ『戦争論』に内在する諸仮説の妥当性は、優れて経験的な問題でしょう。そうであるならば、それらを反証可能な仮説に再構築する作業が、戦略研究を前進させる第1歩になります。