したがって、実際には存在しなかったであろう歴史物語から今の状況を推察することは賢明ではありません。こうした歴史のアナロジー(類推)は、むしろ「相手に弱みを見せてはいけない」という自分の信念や思い込みを正当化するためにしばしば使われるのです。

ランドール・シュウェラー氏(オハイオ州立大学)は、「このアナロジーは指導者をタカ派で過度な競争的政策へと誤導したり、そうした政策を正当化したりするために意図して使われて、大衆を誤解させるのだ」と注意を促しています。

ミュンヘン宥和をめぐる「神話」

1938年の「ミュンヘン宥和」の広く信じられている1つの教訓は、ヒトラーが増長して冒険的行動に走ったのは、チェンバレンがヒトラーの現状打破行動をミュンヘン会談で容認したからだというものです。すなわち、ヒトラーはイギリス(そしてフランス)が「弱腰」であり、不当な要求をつきつけても、それを受け入れるだろうと「学習」した結果、チェコスロバキア全土を占領するとともに、ポーランドに侵攻したというストーリーです。

ミュンヘンに集まった英仏独伊の首脳Wikipediaより

このロジックを裏づけるとされる1つの歴史証拠は、ヒトラーの「われわれの敵は虫けらだ。わたしは彼らをミュンヘンで見た」という発言です。はたしてヒトラーは、イギリスやフランスの指導者があまりに優柔不断で臆病だから、ドイツに対して戦争で対抗することができないだろうと判断して、東欧へと勢力を拡大したのでしょうか。

この重要な難問に挑んだのがダリル・プレス氏(ダートマス大学)です。かれは自著『信ぴょう性の計算―どのように指導者は軍事的威嚇を評価するのか―』(コーネル大学出版局、2005年)の第2章「『宥和危機』―1938-39年におけるドイツによるイギリスとフランスの信ぴょう性の評価―」において、この問題を詳しく分析しています。上記の疑問に対するプレス氏の答えは「ノー」です。